エジソン社の作品 1915年(4)

「SANTA CLAUS VS. CUPID」

 あるクリスマス・パーティを舞台に、1人の女性を巡ってサンタ・クロースの格好で口説こうとする2人の青年の物語と、貧しさと妻の病気に悩み盗みに入ろうとする中年男性の物語が交錯する。

 登場人物が多く複雑な話を15分という短時間に処理しているため、一回見ただけでは今ひとつわからない部分が多いのが残念。恋と人間同士のふれあいの物語は、クリスマスにふさわしいのだが。

 1915年には「国民の創生」(1915)が公開され、1時間を超える長編映画の製作が珍しくなくなっている。この作品は、愛らしい作品ではあるが、長編のような物語の複雑さを持ったまま、思い切って長編にできなかったもどかしさが感じられる作品だ。


(ビデオ紹介)

Christmas Past [VHS] [Import]

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「THE VOICE OF THE VILOLIN」

 誤解から勘当してしまったバイオリン奏者の息子を探す父親は、レコードに録音されたバイオリンが息子の演奏であることに気づき、レコードの販売元であるエジソンの工場へと向かう。

 よくある親子のメロドラマなのだが、最終的にエジソン社製のレコードの宣伝になっているところが特徴的だ。息子を探す父親がコンサートで息子を見つけるのかと想像していたら、父親が向かった先はソファに座ってレコードの演奏を聴ける場所だったという展開の後は、ひたすら宣伝だ。

 正直言って、レコードで息子のバイオリンだと分かるには、音楽に対する相当の耳を持っていなければならないはずだが、そのへんを突っ込むのはやめておこう。


「MCQUADE OF THE TRAFFIC SQUAD」

 エジソン社製作 ジェネラル・フィルム配給
 監督・脚本ユージン・ノーランド 出演ベッシー・ラーン

 バイク警官の男が愛する女性の兄の友人が宝石泥棒をする。愛する女性と兄が乗る自動車に宝石泥棒が同乗して逃げるところを、バイク警官の男は見逃してしまう。

 何とない15分程度の物語である。最大の見所は、バイクで追う警官が、走行中の車に飛び乗るシーンで見せるスタントだろう。当時の映画撮影が事故の危険性と隣りあわせだったことが伝わってくる。


「THE CALL OF THE CITY」

 エジソン社製作 ジェネラル・フィルム配給

 田舎から都会に出てきた女性が殺人を目撃して警察に疑われるが、その様子を見ていた男に助けられる。

 単純なメロドラマだが、都会は厳しく怖いところというイメージが有効的に使われている。映画序盤では、都会から出てきた女性がうまくいかないことを、仕事にありつけない短いシーンと、借りていた部屋から追い出される短いシーンだけで表現している。都会は厳しいというイメージを利用しないと、この省略的な語り方は不可能だったことだろう。


「CHILDREN OF EVE」
 
[製作国]アメリカ [製作]エディソン・カンパニー [配給]クライン=エディソン・フィーチャー・サービシズ

[監督・脚本]ジョン・H・コリンズ [撮影]ジョン・アーノルド、ネッド・ヴァン・ビューレン

[出演]ヴァイオラ・ダナ、ロバート・コンネス、トム・ブレイク、ネリー・グラント、ロバート・ウォーカー

 マディソンが経営する工場では、子どもたちが労働者として雇用していた。マディソンの甥バートは、そのことを快く思っていない。バートは、荒れた生活を送るメイミーと知り合い、恋に落ちる。メイミーを更生させることに成功したバートは、マディソンの工場の実態を調べるために、メイミーを工場に送り込む。だが、その工場で火災が発生し、メイミーは命の危機に瀕する。

 1915年当時は、アメリカでもまだ児童労働があちこちで見られる時代だった。19世紀終わりから労働運動も盛んになっており、この作品のような問題提起をはらんだ作品も作られている。D・W・グリフィスの「イントレランス」(1916)も労働問題を扱っていたが、この作品は「イントレランス」よりも前に作られている。

 「イントレランス」にもメロドラマの要素があるが、この作品は非常に大げさなメロドラマの要素にくるまれている。生き別れた父と娘、ハンサムな男性と聖書によって更生する女性といった要素は、見る者を映画の世界に引き入れるためのエサになっている。

 エディソン社は間もなく映画製作から手を引くが、赤十字と協力した作品「THE LAND BEYOND THE SUNSET」(1912)など、社会問題を扱った作品を製作していたことは注目だ。アメリカ映画は、社会問題よりもメロドラマの方を強く押し出した作品を多く制作していき、観客からも受け入れられていくが、エディソン社はそれとは違う方向を目指し、そして撤退したのだった。