映画評「THE COWARD(哨兵)」

 ケイ・ビー映画社、ニューヨーク映画社製作、トライアングル社配給。
 監督レジナルド・バーカー、トマス・H・インス

 臆病者ゆえに南北戦争への志願を拒否するフランクは、元軍人で厳格な父親の命令で志願することになる。出征するフランクだが、怖くなってしまい家に逃げ帰ってくる。フランクの姿を恥じた父親は、家名を汚さないために自ら出征する。ある日、北軍にフランクの家が接収される。フランクは屋根裏に隠れるが、そこで北軍の作戦会議を聞き、北軍の弱点を知る。フランクは勇気を出し、南軍に北軍の弱点を伝えに行くが、途中で自分の父親に敵と間違えられて撃たれる。それでも何とかフランクは司令部に北軍の弱点を伝えに行く。

 臆病者が主人公という設定がおもしろい。当時の戦争映画の多くは、戦意高揚的な作品がほとんどであり、主人公が戦場へ行くことすら拒否するという作品は珍しい(コメディでは珍しくないが)。その分、どこか人間くさく、どこか自分たちに近い主人公のフランクは、私を引きつける。結局は、フランクは勇気を持つというありがちなパターンとなるのだが、そこに至る過程が珍しい。

 フランクを恥じた父親が自ら一兵卒として出征するという展開は、さすがに無理があるとも思える。また、出征した父親が、間違って実の息子であるフランクを撃ってしまうという展開も、やりすぎのような気もする。それでも許せてしまうのは、臆病者が主人公という設定のリアリティゆえではないかと思う。

 父親役を演じるフランク・キーナンの演技が過剰だ。すさまじいまでのしかめっ面、あまりにきっちりしすぎて見ている方が疲れてしまう姿勢のよさといったキーナンの演技は舞台的(キーナンは元々有名な舞台俳優だ)過ぎる。それでもやはり許せてしまうのは、臆病者を演じるチャールズ・レイの演技が自然だからのように思える。レイの臆病者の演技を見ていると、「キーナンのような父親の元にいるからというのもあるのかな」と思わせられる。

 素晴らしいショットがある。戦場から逃げ帰ったフランクが母親になぐさめられている部屋に、父親が入ってくるときのショットだ。父親が扉を開けた瞬間、時間が止まる。父親もフランクも母親も回りにいる黒人の召使たちも、動けなくなり数秒が過ぎる。このときの緊張感は見ていて息が詰まるほどだ。過剰なまでのキーナンの演技や、臆病を巧みに演じるレイの演技などが、この瞬間とこの後の展開がどのようになるのかを嫌というほど思い起こさせるが、誰も動けない。映画は「映像」で作られている。動くことが前提の映像が止まるということで、映画は素晴らしい効果を上げることができる。その1つの証明と言えるだろう。

 戦闘シーンも、なかなか迫力がある。作戦の内容などは見るものに知らされず、戦う様子が映し出されるだけだが、舞い上がる噴煙やそこここに散らばる死体などが、戦闘の凄まじさを感じさせる。

 1915年といえば、D・W・グリフィスの伝説的な作品「国民の創生」(1915)が公開された年でもある。この作品も「国民の創生」も南北戦争を描いた作品である。片や「国民の創生」は映画史に燦然と輝く作品であり、片やこの作品は知る人の少ない作品となっている。

 個人的な感想を言うと、「国民の創生」よりもこちらの作品の方がおもしろい。私が見たことのあるインスの南北
戦争物である「GRANDDAD」(1913)「THE DRUMMER OF THE 8TH」(1913)も、「国民の創生」よりもおもしろい。その理由を考えてみたい。

 「国民の創生」は叙事詩であるのに対して、私がみた3本の南北戦争物は叙情詩というとわかりやすいだろうか。この表現はいささか大げさなのだが、一言で言うとこうなる。インスの3本の映画の主人公「GRANDDAD」の年老いた元南軍の兵士、「THE DRUMMER OF THE 8TH」のドラムを持って戦場にやって来てしまう少年ビリー、「THE COWARD」の臆病者のフランク。インスの映画は登場人物がすぐに思い浮かぶ。一方の「国民の創生」で思い出すのはリンカーンの暗殺シーンや、黒人の議員でいっぱいになった議場といったシーンなのだ。言い換えると、インスの作品には「人」があり、「国民の創生」には「出来事」がある。

 一方で、「国民の創生」にはD・W・グリフィスの刻印がある。それは、黒人に対するグリフィスの差別的な見方だ。インスの作品にも黒人は登場するし、「国民の創生」と同じように黒人たちは白人に仕える存在であるし、演じているのは顔を黒く塗った白人だ。しかし、「国民の創生」のときのような反対運動が起こらなかったのは、インスの映画の描き方は、当時の人々の黒人観の許容範囲内だったということだろう。

 インスの作品は、特定の人物の物語を当時の常識の範囲内で描いた作品であったと言えるだろう。特定の人物の物語であるため、その人物に感情移入ができれば胸を揺さぶられる。一方で、「国民の創生」はタイトルからも分かる通り、アメリカの歴史の一部をグリフィス(と原作者のディクソン)の価値観で描いた作品と言えるだろう。インスの作品と「国民の創生」の違いは、小説と教科書の違いといえばわかりやすいだろうか。小説ならば事実誤認が許されても、教科書での事実誤認は問題となる。だからこそ、「国民の創生」には「事実と違う」「差別的だ」という批判が渦を巻いたのだと思われる。もちろん、作品の規模の大きさが違うといった理由もあるだろうと思うが。

 「国民の創生」とインスの作品群を見ていると、映画史の中にはもっとおもしろい作品が埋もれているような気がしてくる。映画史に名前が残っている作品は、何らかの理由で名前が残っているわけだが、それが作品自体のおもしろさとは別のところにある場合も多々あるのだから。もちろん、「国民の創生」も映画史に名を残すに足る作品であるのだが。



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