映画評「THE GOLDEN CHANCE」

 ラスキー・フィーチャー・プレイ製作 パラマウント配給
 監督セシル・B・デミル

 判事の娘であるメアリーは周囲の反対を押し切って結婚するも、今や夫のスティーブは酔っ払いの泥棒に成り下がり、食料を買う金にも困る生活を送っていた。金持ちのヒラリー家で裁縫の仕事をすることになったメアリーは、ヒラリー家が取り入ろうとしている億万長者のロジャーの歓心を得ようとメアリーに金を払って機嫌を取らせる。ロジャーは本気でメアリーのことを好きになったある日、メアリーの夫のスティーブがヒラリー家に泥棒に入り、メアリーもいる前で捕まってしまう。

 シンデレラ的なストーリーには、メアリーが判事の娘ということから上流階級と結婚するに値する女性であるという言い訳が用意されているという点に用意周到さが感じられる。だが、メアリーとロジャーが結ばれるのだろうという予想をしつつも、先行きがなかなか読めないストーリー展開(当時のハリウッド映画のパターンとその後のハリウッド映画のパターンに異なる部分があるためでもある)もあり、ストーリーを楽しむことができる作品でもあった。

 特筆すべきはラストだろう。すべてがやっと解決してメアリーとロジャーが結ばれるためのお膳立てが整ったかのように見えるが、メアリーの複雑な表情を残して映画は終わる。中途半端な終わり方のように見え、もしかしたらフィルムが欠落しているのかもと思ったが、脚本と照合するとどうやら欠落はないらしい。その後のハリウッド映画ならば、男女が抱き合ってキスをして終わりになるところだろう。だが、この映画はそんなに楽天的ではない。

 メアリーを演じているクレオ・リッジリーの演技が、このラストを素晴らしいものにしている。判事の娘という設定の是非は置いといて、クレオは判事の娘と言われてもおかしくない気品を称えながらも、庶民さも兼ね備えている。顔は角度によっては美しくも見え、角度によっては醜くも見える。その全体的な印象や、顔と同じように複雑に揺れ動くメアリーの心情をクレオは見事に演じている。夫を恐れながらも情を感じているその複雑な気持ちが見ていて痛いほど伝わってくる。だからこそ、この映画のラストのメアリーの複雑な表情が説得力とリアリティを持って迫ってくるのだ。

 このラストは、実は当時の道徳観からこうなったともいえる。どういうことかというと、当時の道徳観では結婚している人物が、配偶者以外の人物と結ばれることは許されなかったからだ。この後、セシル・B・デミルはセックス・アピールを売り物にした映画で人気を集めることになるが、女性(男性)は浮気を考えても最終的には夫(妻)の元に戻ることが決まりとなる。だから、この映画のラストの素晴らしさは偶然の要素が重なったのかもしれないが、素晴らしい映画や素晴らしいシーンが生まれるときに偶然の要素が絡むことは少なくない。

 セシル・B・デミルは、テンポのいい演出に、時折ライティングに凝ったシーンでアクセントをつけて見事な演出を見せてくれる。特に、ラスト近くでロジャーとスティーブたちが乱闘になるシーンでは、カメラを引いて部屋全体を見渡すような視点から撮影し、迫力のある乱闘シーンとなっている。

 この作品は無名だ。同年に作られた「チート」(1915)の方が有名だ。特に日本では、早川雪洲が出演していることもあり、「チート」の方が圧倒的に有名だ。「チート」の知名度の裏に、この作品のような素晴らしい作品があることが忘れられていくのは少し寂しい。