映画役者が「映画スター」になったとき

 映画スターはいつから誕生したのだろうか?という問いにはどのように回答すればよいのだろうか?

 映画は草創期から、国家元首といった固いところや、ヴォードヴィルの人気芸人といった柔らかいところまで、様々なスターを映画に登場させることで、人々の映画への興味を引き付けた。しかし、彼らは「スターが映画に出演」したのであって、「映画スター」とは言えない。

 最初は1分程度だった映画の上映時間が、数分になり10数分になりと、徐々に長くなっていった。単なる見世物を撮影するのではなく、物語を語るようになっていった。映画の撮影も、近くの酒場などから撮影の直前に適当な役者を引っ張ってきて、即興で撮影するという方法から、役者を専属で雇って定期的に映画に出演させるという方法に変わっていった。

 俳優が専属となった理由の1つには、経済的なものが挙げられるだろう。舞台を撮影するようにカメラを設置し、目の前で演じられるものを撮影するだけならば、映画ならではの演技はそれほど必要ない。しかし、物語を語るためには、クロース・アップでの表情作りやサイレントでも分かりやすい演技が必要となる。物語の順番通りの撮影でなくとも、シーンごとに適した演技をすることも求められる。こうした、「映画ならでは」の演技が求められてくると、その辺の役者を毎度引っ張ってきて映画的な演技をそのたびに教えるよりも、専属で役者を雇って、最初に映画的な演技を教えてしまうほうが安上がりだ。また、当時映画は演劇よりも下に見られており、演劇のシーズンになると役者たちは演劇での役がつくことを希望した。そんな状況で、役者を確保するという意味でも専属契約は効果があったことだろう。

 こうして、各社が専属俳優を雇い、同じ俳優が同じ会社の様々な映画に出演するようになる。観客は、映画を見ているうちに、何度も見る役者に馴染みの感覚を覚えるようになる。1900年代には、役者の名前を観客に知らせる習慣はなかったが、それでも観客はバイオグラフ社の映画に登場する女優に「バイオグラフ・ガール」と名づけたり、巻き毛が特徴の女優に「巻き毛のメアリー」と名づけたりして親しんだ。役者の名前を観客に知らせなかったのは、役者側の要望でもあった。映画に出演していることが舞台の人びとに知られると、役者としての格が下がり、舞台でいい役につくことが出来なくなる恐れがあったのだ。

 こうした役者と映画会社の関係に打ち破る出来事が1910年に起こる。それは、1910年のフローレンス・ローレンスのIMP移籍事件だ。

 バイオグラフ・ガールとして親しまれていたフローレンス・ローレンスを、IMPのカール・レムリが引き抜いた際、ローレンスが交通事故で死亡したという記事を新聞に載せた。こうして、世間の注目を集めた後、実は記事はデマでローレンスは生きていたと報じることで、話題を呼んだのだった。

 このエピソードには、レムリの天才的とも言える宣伝手腕が感じられる一方で、映画役者がスターとなりえるということを、映画役者自身に実感させる出来事であるともいえる。

 実は生きていたという報道がされたあと、フローレンス・ローレンスはセントルイスの劇場で舞台挨拶を行った。そのときの観客の熱狂ぶりは相当なもので、ローレンスの服が引きちぎられたりもしたらしい。

 メアリー・ピックフォードは、映画の役者という格下だと思っていた仕事から、念願かなって舞台の仕事に戻れたとき、観客が「映画役者」メアリー・ピックフォードを見るために劇場に押し寄せてきているのを知って驚いたという。また、チャールズ・チャップリンも、大陸横断の列車に乗ったとき、行く先々の駅で、「映画役者」チャールズ・チャップリンを見るために駅に押し寄せる人々の姿を見て驚いたという。

 考えてみて欲しい。今のように、ネットで自分の評価を確認することもできなかった時代に、彼らは撮影所に通っては映画を撮影するという日々を送っていた。そんな彼らが、自分たちがスターであるということを確認することがどれほど難しかったことだろうか。しかし、ひとたび大衆の前に立つと、彼らは今までに一度も面と向かったことがない(舞台と違って、映画は実際に観客と顔を合わせることはない)人びとから歓喜の声を上げられるのだ。それはまさに、単なる「スター」ではない「映画スター」ならではの体験だったに違いない。映画スターは観客たちの顔を誰一人知らなくとも、観客たちは映画スターの顔を知っているのだ。これぞ、映画スターだ。

 映画スターは、人気のある映画役者が、人びとの前に姿を現したときに誕生したといえるだろう。

 そんな映画スターを映画会社は放っておかない。各社は、映画スターを引き抜こうとした。映画スターは、映画スターとして映画に出演するだけで、映画はヒットするのだから、これほど簡単に会社の利益を増やすことはない。だが、1910年代の映画スターも映画会社もまだ知らない。大衆は移り気でスターの座は非常に不安定であることに。

 映画会社による映画スターの引き抜きは、映画スターに映画スターとしての自覚を増長させることにもなったことだろう。自分が人びとの前に姿を現すことだけでも価値がある人物だということを、大衆の熱狂ぶりを見て知った映画スターは、映画会社が自分を引き抜こうと大金を使うことによって、その認識を新たにする。

 映画スターの引き抜きは、映画会社が映画スターは金を稼げるということを知ったからこそ起こったものだ。そのことは、映画が産業としての傾向を強めていくことにもつながっていく。そして、映画会社が大金を払ったものに対しては、見合う見返りを求めるようになる。映画スターはこの後気づくことになる。映画会社は、映画スター自身ではなく、映画スターが映画スターである要素に金を払ったということを。映画スターは、徐々に映画スターが映画スターである要素に自分自身が縛られていくことになるということを。映画スターは、引き抜きによって映画スターとしての自分を売ることになるが、それは悪魔に魂を売ることにもつながっているということを。