コメディの世界 1916年

 ちなみに、チャップリンを失ったエッサネイ社は、フランスの人気映画喜劇俳優のマックス・ランデーを1916年暮に呼び寄せている。ランデーは3本の映画を撮影したが、1917年の初めに胸膜炎となり、11月にスイスのサナトリウムに入ることになる。1917年にランデーの作品は公開されたが、興行的に失敗することとなる(ちなみに、チャップリンはランデーをモデルにチャーリーのキャラクターを創造したと語っており、2人は1917年に初めて対面している)。

 バイオグラフ社では、当時舞台などで著名だった黒人のコメディアンのバート・ウィリアムズが主演した「A NATURAL BORN GAMBLER」が作られている。ウィリアムズの舞台での出し物が元になっているという。

 L−KO社では、かつてキーストン社に所属し、チャップリンの作品も監督したこともあるヘンリー・レーアマンが監督した「LIVE WIRES AND LOVE SPARKS」(1916)が製作されている。ビリー・リッチーは、チャップリンと同じミュージック・ホール出身のコメディアンであり、チャップリンが映画で演じて人気を集めたキャラクターは自分が創造したと訴えていたという。

 ヴィム・コメディ・フィルム社では、若き日のオリヴァー・ハーディが出演した「ONE TOO MANY」(1916)という作品が作られている。

 「ロンサム・リューク」というチャップリンに似たキャラクターを演じていたハロルド・ロイドは、「LUKE’S MOVIE MUDDLE」(1916)といった作品に出演している。

チャップリン再入門 (生活人新書)

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