イタリア映画 ディーヴァの隆盛とイタリア映画の衰退

 「ディーヴァ」への依存から、イタリア映画はスター主義となったと言われている。監督がスターの助手や、従順な実行者となっていった。ディーヴァをコントロールできなくなったプロデューサーのせいもあると言われている。バルダッサレ・ネグローニ伯爵が妻のエスペリアのための作品を作ったといった話や、フランチェスカベルティーニエストリアというディーヴァ間ではライバル意識が高く、同じ役柄を演じた作品を製作させたりしたと言われている。

 ディーヴァと呼ばれたスター主義(ディヴィズモ)は、現代劇の隆盛をもたらすが、それにイタリア映画衰退の一因でもあった。マリオ・カゼリーニによると、スター中心の映画は1910年頃から始まり、1920年を境に下降線を迎えたという。また、ダンヌンツィオ作品の主人公たちは超人的で、スター的だったことから、ディヴィズモとダンヌンツィオ主義は表裏一体だったとも言われている。

 そんな中、当時のイタリアにおける偉大な舞台女優と言われ、ダンヌンツィオ作品の映画化の際にはまず名前が挙がったが、出演することはなかったエレオノーラ・ドゥーゼが「灰」に出演している。脚本はドゥーゼをフェボ・マリが手伝い、マリが監督を努め、サルデーニャ島でロケが行われた。誤解によって母親と息子が別れ、母親が悲しみのあまり死んでしまうというストーリー。観客には不評だったが、ドゥーゼの役者としてのすばらしさを見ることができるという。