フランス映画 第一次大戦の影響とアンドレ・アントワーヌ

 第一次大戦の戦場となったフランスでは、戦場に赴いての撮影が行われるようになっていた。アベル・ガンス、マルセル・レルビエ、レオン・ポワリエといった劇映画の監督たちが軍の映画班に従事した。1916年からは、より戦場に近い部分を撮影できるようになり、前線でも撮影を行ったが、検閲によってほとんどが未公開となったと言われている。フランスにおける検閲は、1916年に暫定的に始まり、映画検閲委員会が設立されている。

 劇映画の分野では国内の製作が戦争によって滞ってしまったため、アメリカ映画に押されていた。そんな中、アンドレ・アントワーヌは「コルシカの兄弟」(1916)を監督している。

 アントワーヌは、1887年に「自由劇場」を設立し、舞台において自然主義を求め、装置や小道具になるべく本物を使った人物で、アントワーヌの自然主義はヨーロッパやアメリカに影響を及ぼしたと言われている。

 その後アントワーヌは、パテ社の文芸映画部門であるスカグル社で、多くの俳優や監督を養成し、影響を与えた。映画にも自然主義を提唱し、本物のセットや小道具の他に、モンタージュ論、移動撮影の役割を訴えた人物である。

 「コルシカの兄弟」の予算は限られ、アントワーヌが望んだコルシカでのロケはできずニースで撮影が行われた。また、撮影所のシーンでも、屋外シーンでも満足のいく撮影が行えなかったと言われている。

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

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