イタリア映画 その他 1916年

 ディーヴァが君臨する一方で、未来派映画という新しい動きもあったイタリアでは他にも様々な動きがあった。

 イタリア芸術映画社(FAI)の製作担当だったウーゴ・ファレーナが去り、FAIは方向性を失ったと言われている。また、監督のジェンナーロ・リゲッリは、ティベル社に移籍。マリア・ヤコビーニ主演作を監督し、「硝子の家」(1919)などを残すことになる。

 イタリアは、第一次大戦に参戦しており、1916年に入隊したジョヴァンニ・ヴィトロッティが、イタリア軍最高司令部映画部門に所属し、記録映画を撮影している。

 イタリア映画はフランス文学の映画権を購入しフランスに輸出したが、1916年になるとフランスの観客はアメリカ映画へと向かったと言われている。

 栄華を誇ったイタリア映画は、第一次大戦とディーヴァの君臨、無国籍化によってアメリカ映画の覇権を止めることができずに衰退していくことになる。