スウェーデン映画 スティルレルの成功

 スウェーデンではモーリッツ・スティルレルが喜劇の面で個性を発揮していた。

 「プリマ・バレリーナ」(1916)で初めて国際的に成功を収めたスティルレルは、「恋とジャーナリズム」(1916)という1930年代から40年代にかけてのアメリカ映画と似たコメディを製作。スティルレルは筋を運ぶのが上手く、モンタージュや撮影に無駄がなかったと言われている。

 また、スティルレルとともにスウェーデンを代表する監督となるヴィクトル・シェーストレームも、「致命」(1916)という作品に監督・出演し、注目を集めている。

 当時のスウェーデン映画は海外で傑作を評価されたが、観客は呼べなかったと言われている。一方でスウェーデンは中立国だったため、政治的な影響を受けずに利益を得たとも言われている。

 だが、スウェーデン国内の映画興行においては、1916年からスヴェンスカ社がアメリカのトライアングル社の映画を輸入してアメリカ映画人気を作り、アメリカ映画の人気がスウェーデン映画を衰退させたと言われている。

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

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