映画評「20,000 LEAGUES UNDER THE SEA(海底六万哩)」

 ユニヴァーサル製作

 潜水艦ノーチラス号のネモ艦長は、とある孤島に停泊するヨットを発見する。ヨットの持ち主は、かつて自分の妻を死に追いやった男のものだった。

 ジュール・ヴェルヌの原作を元にした作品だが、「海底二万里」と「神秘の島」の内容を混ぜ合わせて、さらに改変を加えた内容だという。

 この作品は、初めて本格的に海中を撮影した作品(バハマで撮影されたという)というのが売り物である。ウィリアムソン兄弟が開発したという機材を使って実現したということで、映画の冒頭ではその旨が紹介され、さらには兄弟があいさつする映像までついている。

 初めて海中の撮影した当時の観客は驚きだったことだろう。映画も、ストーリーとは直接関係のない、魚が泳ぐ様子や潜水服を着た人間が歩くといった海中の風景を撮影したシーンを長めに映し出している。残念ながら、映画のみならずニュース番組やテレビのバラエティ番組などでも、海中撮影に見慣れてしまった私たちにとっては、それほど興味深いものとはならないのではないかと思う。私が海中を撮影したシーンで一番おもしろかったのは、大ダコが人間を襲うシーンだ。だが、それはあきらかに作り物のタコの造形によるキッチュさによるものであり、海中撮影とは直接関係はない。

 海中撮影がメインということもあり、ストーリーに興味深いものはない。強引にネモ艦長と生き別れた娘のメロドラマにしたメイン・プロットに、いくつかの登場人物の物語が絡むのだが、物語としてはどれも中途半端だ。

 この作品の海中撮影が、当時エポック・メイキングであったことは認めなければならないだろう。しかし、問題は技術そのものではなく、技術がどのように活用されたかということだ。この作品は、1916年当時には絶対的な価値があった作品だ。だが、現在では価値を見出すことが難しい。