映画評「NAKED HANDS」

 モダン・メソッド・プロデューシング製作 VLSE配給
 製作・脚本・監督・主演ギルバート・M・アンダーソン

 ビリーは金鉱を探して美しい妻と西部へやって来ていた。だが、ビリーが金鉱を見つけたとき、妻は東部の男と駆け落ちしていた。数年後、金持ちになったビリーは、不幸な再婚生活を送るかつての妻が死の床にあるのを知る。

 1910年代に世界初の西部劇スターとして多くの短編西部劇を製作したアンダーソンによる作品である。この頃になると、映画界は長篇時代に向かっており、この作品も約1時間の作品として元々製作されたという。その後、約30分にカットされて再公開された。私が見たのはカットされたバージョンである。ちなみに、「NAKED HANDS」は再公開時のタイトルであり、オリジナルの公開時のタイトルは「HUMANITY」である。

 この映画の特徴は、西部劇の要素が薄いという点ではないだろうか。最初の舞台こそ西部であるが、金鉱を発見したあとは西部は基本的に無関係である。タイトルにあるように、主人公のビリーは、妻を奪った男性と銃ではなく素手で戦う。

 単純なメロドラマでもなく、単純な西部劇でもない。この映画は、ドラマを志向しているように感じられるが、ドラマとしては多少薄っぺらだ。火事で燃え上がる家からビリーが出てくるシーンは、危険な撮影だったことだろう。アンダーソンは時代から取り残されそうな状況の中で、必死にがんばっているように見える。だが、アンダーソンは、同じ西部劇スターのウィリアム・S・ハートのように、長篇でのキャラクターを確立することなく、消えていってしまう。