トマス・H・インス監督作「シヴィリゼーション」

 トマス・H・インス・コーポレーション、トライアングル・フィルム製作
 トライアングル・ディストリビューティング配給
 監督トマス・H・インス、レジナルド・バーカー、レイモンド・B・ウェスト 脚本C・ガードナー・サリヴァン

 架空の国で戦争が勃発する。フェルディナンド伯爵は、自らが開発した潜水艦に乗って出征するが、一般人を巻き込む作戦に反対して、乗組員と争いになり、瀕死の重傷を負う。伯爵は地獄でキリストと出会い、キリストは伯爵に乗り移って、人々に平和を説く。

 1916年といえば、D・W・グリフィスが監督した「イントレランス」(1916)が公開された年である。両作品に共通する点は、戦争に反対の立場で作られているという点だろう。しかし、「イントレランス」が人類全体の不寛容を取り扱った壮大な作品であるのに対し、「シヴィリゼーション」は明確に戦争、しかも当時勃発していた第一次大戦が標的となっている。当時アメリカは、大統領ウッドロー・ウィルソンの方針で第一次大戦には参戦していなかった。しかし、方針は転換され、アメリカは参戦することになる。

 「シヴィリゼーション」にはどこかリアリティが欠ける。映像は、戦闘シーンを始めとしてリアリティがあるにも関わらず、全体には感じられないのだ。それは、ストーリーのためでもある。主人公の伯爵の人物描写は浅く、実際に存在する人物としてのリアリティがない。キリストが乗り移るという展開も、リアリティがない。こういったリアリティの欠如が、映画全体にどこか白々しい雰囲気を漂わせているように思われる。

 「シヴィリゼーション」をファンタジーと捉えると、また見方も変わるだろう。しかし、ファンタジーとしてのみだけ捉えても夢幻性は薄いし、現実の戦争について言及している以上は、その責任は問われる。

 一言で言うと、「シヴィリゼーション」からは滲み出るものが欠ける。「イントレランス」が成功作か、失敗作かといったこととは別に、D・W・グリフィスの血が滲み出ているのに対して、「シヴィリゼーション」にはそれがない。もちろん、滲み出るものがなければ、ダメなわけではない。しかし、面白くもなく、滲み出るものもなければ、そこに残るものは何もない。

 ちなみに、「シヴィリゼーション」は、戦争中だったイギリスやフランスでは愛国的な内容に変えられて公開されたという。登場する国は架空の国だが、王の軍服姿はドイツの皇帝に似せてある。おそらくは、国をドイツに変えて公開されたのだろう。

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