チャップリンのキャラクターの確立

 ミューチュアル社で4作品を作ったチャールズ・チャップリンだったが、当時の観客の間には、悪い奴からチャーリーへの移行を望まない者もいた点も指摘されている。1930年代初頭に、悪役的なキャラクターであるキーストン時代のチャップリン映画が「チャップリン 20年前のように」のサブ・タイトルで再公開されていることからもそれがわかる。

 チャップリンは「移民」や「冒険」を経て、自身の演じるキャラクターと自身の映画を確立させていく。そのことは、チャーリーというキャラクターが一朝一夕で生まれたものではないことを教えてくれる。その点について、大野裕之は「チャップリンのために」の中で次のように書いている。

 「変貌を望まない観客たちに迎合することなく、自らのパフォーマンス、アメリカ社会の現実、そして20世紀という時代の本質を、その深みにおいて捉え、試行錯誤と苦闘を重ねたすえの変貌だったのだ」

 この頃のチャップリンは膨大なフィルムを使用し、編集にもこだわったと言われ、「チャップリンの移民」(1917)では、四日四晩を編集室で過ごしたという。そのこだわりのために製作のペースは低下し、当初はミューチュアルとの契約どおりに月1本制作されていたが、終わり頃には3ヶ月に1本のペースとなった。

 ミューチュアル社時代のチャップリンの映画の特徴について、ジョルジュ・サドゥールは次のように語っている。

 「ミューチュアル社での一連の作品で、チャーリーが自らを貧しい男と規定した時、アメリカ社会の地位の高い人たちは、より大きな権威を持ち、クリームパイを投げつけられたのである」

 「ミューチュアル社時代のほとんどすべての作品は、パントマイム劇であると同じだけバレエの振付けであることに気づく」

 チャップリンはミューチュアル社時代を通して、自らの演じるキャラクターと、映画のスタイルを確立させたといえるだろう。

 そんなチャップリンの作品の人気は絶大だった。チャップリンは全世界の子供から大人まで、労働者から知識人までを虜にした。



(映画本紹介)

チャップリンのために

チャップリンのために

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)