チャップリンのファースト・ナショナル社への移籍
ミューチュアル社で映画製作を行っていたチャップリンだが、「チャップリンの冒険」(1917)を最後にファースト・ナショナル社へと移籍することになる。
ミューチュアル社はもちろん、チャップリンと契約を更新しようとした。当時、トライアングル社を清算して下り坂だったミューチュアル社にとって、チャップリンは最後の砦だったのだ。ミューチュアル社はチャップリンに、12本の喜劇に対して100万ドルを提案した。だが、チャップリンの兄であるシドニー・チャップリンがファースト・ナショナルの代表と会談して話をまとめて、ファースト・ナショナルへの移籍が決まった。
チャップリンとファースト・ナショナルの契約の内容は、チャップリンは年に8本の2巻もの(20〜30分程度)の喜劇を製作し、ファースト・ナショナルは1本のネガの前渡し金として12万5千ドル(チャップリンの給料も含む)というものだった。チャップリンが2巻以上の映画を製作するときは、1巻ごとに前渡し金として1万5千ドルが追加された。そして、映画公開後には純益の50%を得ることができた。
この方式は以後数年間に渡って、他のスターや映画会社との間で結ばれる契約の基礎となったと言われている。
チャップリンにとって重要だったのは、多額の給料と共に契約には表現の自由の保証もあった点だった。また、立場的にはチャップリンは自分が製作者となり、ファースト・ナショナルに映画を提供するという形となった。チャップリンはこれを機に、自らの撮影所を設立している。サンセット大通りに撮影所が建設されている間、チャップリンはエドナ・パーヴィアンスらとホノルルにバカンスにでかけた。1918年1月31日、撮影所が完成(ステージとイギリス風の小さな事務所、テニスコートを備えていた)し、チャップリンは乾いていないセメントの上に足跡をつけて、ステッキでセメントにサインと日付を入れた。
新しい撮影所も完成したチャップリンだったが、映画製作は、なかなかはかどらなかった。その理由は、結婚と離婚によるあわただしい私生活や、徴兵不合格者のチャップリンが第一次大戦のための国債募集運動に参加したことなどがある。だが、最大の理由は、チャップリンの完全主義にあった。チャップリンは1年に8本という契約を履行するのに4年かかることになる。
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