ダグラス・フェアバンクスの人気と、プロダクション設立

 1915年にデビューしたダグラス・フェアバンクスは、この頃になると山の名前に冠されるほどの人気を得ていた。

 1917年には、パラマウントと契約し、自作のプロデューサーも務めるようになる。あらゆる人たちを快活にからかった軽喜劇映画13本に出演していく。

 この年の代表作の1つである「快漢ブレーズ」(1917)は、技士のフェアバンクスが南アメリカの国に起こった反乱を抑え込むいう物語だった。また、「ドーグラスの月の世界」(1917)では、架空の国を舞台に活躍をみせる。さらに「ドーグラスの蛮勇」(1917)では、カウボーイの生活に憧れる東部の男を演じている。

 人気を得ていたフェアバンクスは、1917年2月にダグラス・フェアバンクス・ピクチャーズ・コーポレーションを設立している。この会社はパラマウントの傘下に入り、フェアバンクス映画の監督であるジョン・エマーソンとアニタ・ルースもパラマウントに入社している。

 フェアバンクス映画の脚本は、最初は愚鈍で不器用だが共感を得られる人物が、華々しい活躍をするというストーリーとなっていた。フェアバンクスの人気はアメリカのみにとどまらず、ヨーロッパでも大人気を得ていたという。



(映画本紹介)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)