「サーカスが来た!」を読んで

「映画の出現は、つまり、従来の大衆文化をよりエリート的なものと、より卑俗なものとの両方に押しわけた。だがこのことは、いいかえれば、映画がこの中間の広範な市民階層、文字通りのミドル・クラスを、自分のなかにとりこんだことでもある。じっさい、映画ほどアメリカ全土のすみずみにまで普及し、老若男女のいっさいをとりこにした娯楽はなかった。オペラ・ハウスすらない田舎の町にも映画館はでき、その地方の「文化の殿堂」となった。映画こそ、二十世紀アメリカの大衆文化の精華だということは、誰も否定できないだろう」

 亀井俊介著「サーカスが来た!」の一文である。

 「サーカスが来た!」は、アメリカの大衆文化をサーカス、ヴォードヴィル、巡回公演、ダイム・ノベル、ターザン、ハリウッドといった視点から見つめた本である。中流階級を対象とした舞台や小説といったいわゆる「芸術」を見つめた視点ではなく、あくまでも大衆に浸透した文化を見つめている点が特徴と言えるだろう。

 19世紀末に誕生した映画は、そして十数年後に誕生したハリウッドは、100年以上の時を超えた今でも、紆余曲折はありながらも、社会に影響を与える文化の一つとして君臨している。「サーカスが来た!」で取り上げられているサーカスやヴォードヴィル、巡回公演が完全に消滅したわけではないものの、今ではかつての栄華を失っていることを考えると、これは驚異的なことのように思われる。

 なぜ、映画は生き残ったか?その疑問を考えるヒントの1つが、上の文章の中にあるように思える。

 映画の最大の強みは何か?それは、一言で言うと分かりやすいのだ。その情報量は文章と比べても、静止画像と比べても圧倒的に多い。ということを考えると、本当はわかったつもりになれると言った方が正しいかもしれない。

 映画は私たちにその分かりやすさを武器に、様々なことを教えてくれた。世界にはどんな国があるのか、どういった人種の人たちがいるのか、どういった建築物があるのかといったこと。どういう笑い方をするのか、どういう怒り方をするのか、どういう悲しみ方をするのかといったこと。それはもちろん、世の中の現実の完全な反映ではない。だがおそらく、誰かの話や、小説や、図鑑などでは容易には伝わらない部分を伝えてくれたであろうことは間違いない。

 映画の分かりやすさには、様々な落とし穴がある。それについては、別の機会に書きたいと思うが、とにかく映画は分かりやすさを武器に世界に広がっていったということ、老若男女も階級も問わずに世界に広がっていったと言えるのではないだろうか。