日本 松之助映画、最大の濫作時代
1917年(大正6年)は、当時人気絶頂だった尾上松之助主演映画の最大の濫作時代であり、1ヶ月に9本の映画が作られたという。
松之助映画の題材は、講談、義太夫、落語、子供たちの玩具本から取った単純なものだった。対象は小学生程度で、題材や演出の進展は見られず、松之助もそのことを遺憾に思っていたという。
松之助映画が驚異的な製作本数を誇り、大衆の支持を集めた理由として、田中純一郎は「日本映画発達史」の中で次の3点を挙げている。
1.動きを本位とする映画的演出の法則にかなっていた。他の日本映画は舞台劇的な、動作の少ない演出が行われていたが、松之助は視覚を満足させるものだった。
2.日活向島映画が不振だったため。日活向島映画は女形を使用し、観客を掴めなかった。松之助映画の方が、自然さがあった。
3.日活の興行マーケットが他を圧倒していた。全国の約半分の映画館で松之助映画は上映された。
松之助は自分の人気を過信し、牧野省三の地位を凌駕しようとしだしたという。牧野は牽制策として、他の役者で松之助映画と同数の作品を作るが、人気の面で太刀打ちできなかったという。
(映画本紹介)
- 作者: 田中純一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1975/12/10
- メディア: 文庫
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日本の映画の歴史を追った大著。日本映画史の一通りの流れを知るにはうってつけ。