セシル・B・デミル監督作「JOAN THE WOMAN(ヂャン・ダーク)」

 カーディナル・フィルム、パラマウント製作 フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー配給
 製作・監督・脚本・編集セシル・B・デミル 出演ジェラルディン・ファーラー

 中世にフランスとイギリスの間で繰り広げられた百年戦争において、フランス側の英雄ジャンヌ・ダルクが、神の声を聞いてフランス軍を率いるようになり、最後には火刑となるまでを描く。

 セシル・B・デミルが初めて製作したスペクタクル映画とも言われているこの作品は、見事なセット、豪華な衣装、大人数のエキストラの使用、大規模な戦闘シーンといった「大作」の名に恥じない堂々たる作品である。

 フランスの英雄であるジャンヌ・ダルクが主役の映画が作られたのには理由がある。その理由は、この作品をサンドイッチのように挟む序章と終章の部分を見ればわかるだろう。初めと最後には、当時行われていた第一次大戦中のイギリス軍の兵士の様子が描かれているのだ。イギリス軍の兵士は、ドイツ軍の塹壕への突撃という、自らの命を賭けねばならない任務を打診される。兵士は、ジャンヌ・ダルクが神の啓示を受け、祖国のために戦い、そして死んでいく夢を見る。ジャンヌ・ダルクに導かれるように、兵士は死の任務に志願。ドイツ軍の塹壕の爆破に成功するが、自らの命は失ってしまう。といった戦意高揚的な側面(しかも、それは神の啓示であるようにまで描かれている)をこの映画は持っている。

 戦意高揚部分は当時の時勢による影響を受けていると思われ、今から見ると不必要に感じられるかもしれない。2時間20分という上映時間を考えると、第一次大戦部分がない方がシャープになるようにも感じられる。一方で、当時の映画界が直接的にも間接的にも世間や社会の動きに対して敏感だったという証明とも考えることができるだろう。

 主役を演じているジェラルディン・ファーラーは元々オペラ歌手であり、この作品と同じくデミル監督作の「カルメン」(1915)で華々しくデビューした当時のトップ女優である。少し年を取りすぎているようにも感じられるし、演技も決してうまいとは感じないのだが、なんともいえない存在感がある。

 そんなファーラーが演じるジャンヌ・ダルクの物語は、かなり強引にメロドラマを盛り込んでいる。しかし、ジャンヌ・ダルクの物語自体の強さと比べるとメロドラマは中途半端に過ぎ、中途半端なメロドラマがジャンヌ・ダルクの物語のパワーを弱めているようにも感じられる。

 デミルの演出は堅実で物語はスムーズに進むし、スペクタクルシーンもふんだんに盛り込まれている。しかし、その一方でスペクタクルシーンは規模の大きさは伝わってくるのだが、シーンとしての楽しさは伝わってこない。それは編集の問題なのではないかと思う。また、劇的なストーリーもスムーズに進むのだが、そのことが逆にジャンヌ・ダルクの物語の上澄みをすくっているような印象を受ける。

 当時、D・W・グリフィスは1915年に「国民の創生」という、1916年に「イントレランス」という現在でも映画史に名を残す作品を監督している。グリフィスのこれらの作品と、この作品を見ると、グリフィスが当時いかに優れた人物だったかということがわかる。話法の複雑さと平和を求める内容が失敗の原因の1つと言われる「イントレランス」だが、ストーリーが単純に流れていくだけではなく、緊張感を高めてクライマックスに向かっていくという手法が取られている。また、スペクタクルシーンでも、ただ漫然と大規模な戦いを撮影するだけではなく、編集を工夫することによって、見るものの興奮を呼び起こすようになっている。

 デミルがダメだと言っているのではない。「チート」(1915)で光と影の使い方のうまさが賞賛されたデミルは、この作品でも見事なショット見せてくれる。オルレアンの解放に成功した後、人々に囲まれて歓迎を受けるショット(多くの人々がジャンヌに向けて手を差し伸べている)、異端審問のシーンのコントラストを強めたジャンヌの表情を捉えたショットなどが挙げられる。

 この作品を見て、似たようなタイプのグリフィスの作品と比べてみると、デミルという監督の特徴が分かるような気がする。一言で言うと、グリフィスは「語る」監督、デミルは「見せる」監督であるということだ。そして、「語る」ことと「見せる」ことは、映画が発展していくための両輪としてこの後も様々な映画人によって研ぎ澄まされていくことになる。

Joan the Woman [VHS] [Import]

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