D・W・グリフィス、「イントレランス」を従えてイギリスへ

 1916年に「イントレランス」を製作し、1人の人間による映画製作の頂点を極め、かつ限界を露呈し、多額の借金を背負ったD・W・グリフィスは、パラマウント系であるアートクラフト社と契約した。グリフィスがかつて所属していたトライアングル社が清算されることになったという事情もあった。グリフィスはアートクラフト社で、フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー配給の映画を製作していくことになる。このことは同時に、バイオグラフ社時代からグリフィスが育ててきた「グリフィス組」とも言える俳優陣の解散を意味した。

 そんなグリフィスは、「イントレランス」のロンドン公演に出席した際に、第一次大戦に参戦していたイギリスの首相ロイド=ジョージから戦争プロパガンダ映画の製作を依頼される。グリフィスに映画の製作を依頼するというのは、当時のイギリスの文学者たちの発案だったという。「イントレランス」で、世界全体を対象にした不寛容を告発し平和を訴えたグリフィスが、プロパガンダ映画を製作するという点には矛盾が感じられるかもしれない。リリアン・ギッシュの自伝によると、この点についてグリフィスは当時、次のように語っていたという。

 「『イントレランス』を作ったとき、たぶん私もあまりに大きな夢を見すぎていたのかもしれない。背伸びをし過ぎたんだ。自分の才能以上のことをやろうとしたんだね。全世界の人々に影響を与えるようなものを作るつもりだった。世界全体に思いやりの気持ちを訴えようなんてたぶん大それた目標だったんだ。アメリカとか英語圏の人々、さもなければ西欧文化圏だけに的を絞っておくべきだった」

リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

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D・W・グリフィス傑作選 [DVD]

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