D・W・グリフィス 「世界の心」の製作
ともあれD・W・グリフィスは、イギリスの首相ロイド=ジョージからの依頼を受け、プロパガンダ映画「世界の心」の監督をすることになった。リリアン・ギッシュらの出演俳優たちは撮影のために渡欧した。渡欧の際は、国務省が準備してくれた船で向かったが、戦争中だったために撃沈される恐れもあったという。
最初はロンドンに到着したが、戦争の影響で撮影所が閉まっていたため、ホテルの居間で演技のテストを行ったという(ロンドン滞在中には空襲にも遭っている)。「世界の心」にはリリアンの妹であるドロシー・ギッシュも出演している。リリアンは街で見かけた女性の歩き方をドロシーに教えて、ドロシーは役に取り入れたという。役者が少なかったため、リリアンの母も出演し、リリアンたちも何役かを演じた。また、後に作家となるノエル・カワードがちょい役で出演し、自らアイデアも出したという。
イギリスで撮影を行った後はフランスへ渡ったが、カメラマンのビリー・ビッツァーが名前のためにドイツ系と見られ、フランスへ行けなかったという。フランスでは戦場近くでも撮影した。グリフィスのすぐそばで砲弾が破裂したこともあったという。また、リリアン・ギッシュは、灯火管制のために月明かりだけで照らされたパリが美しかったと語っている。
資金的には、英国陸軍省から120万ドルもの資金援助があったが足りず、撮影が終わるころにグリフィスは数千ドルも自分で出したという。
ヨーロッパでの撮影を終えた後、1917年11月からはハリウッドのスタジオで撮影が行われて完成した。
ドイツ兵を悪玉とし、イギリス人やフランス人が苦しむところを連合軍が助けるという内容の「世界の心」は、ヒットした。だが、映画公開後に第一次大戦が休戦になると人々の戦争映画への関心は冷めていった。
ちなみに、グリフィスは「世界の心」で余ったフィルムを、「偉大なる愛」「人類の春」(1918)といった作品の一部に使用したという。
また、「世界の心」でのドロシーの演技は人気を呼び、リリアンはコンスタンス・タルマッジの代わりにドロシーを使うようにグリフィスに言えるようになったという(ちなみに、「世界の心」のドロシーの役はもともとはタルマッジの予定だった)。
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