フランスの映画製作 1918年

 フランスの映画製作は衰退していたが、次のような作品が製作されている。

 アンドレ・アントワーヌは、ロマン派作品「海の労働者たち」(1918)を監督したが、アントワーヌが提唱していた自然主義は実践されていなかったといわれている。

 アベル・ガンスは「第十交響曲」(1918)を監督したが、その大言壮語的な脚本や思想に、批評家のルイ・デリュック(デリュックは、1918年から日刊紙「ミディ」の映画欄を担当。新聞批評の先鞭的存在だった)は批判的だったという。興行的には成功した。

 1917年に、脚本家としてデビューしたマルセル・レルビエは「幻想」(1918)で監督デビューを果たしている。ソフトフォーカスの主観的な映像とデフォルメされた撮影というレルビエの作品の特徴が現れていたという。

 映画ジャーナリストからルミナ社を作り、映画プロデューサーとなったジャック・ド・バロンセリは、「海の王」(1918)を監督している。

 俳優から監督となったアンリ・ルーセルは、「青銅の魂」(1918)を監督している。工場の光景がすばらしく、労働の世界を描いた点が珍しい愛国的なメロドラマといわれている。

 また、ジョルジュ・=アンドレラクロワは「憎しみ」(1918)を監督している。

 フランス映画の最初期から監督を務めたルイ・フイヤードは、愛国的な作品「ぶどう月」(1918)や連続映画「ティー・ミン」を監督している。「ティー・ミン(邦題「魔の毒手」)」シリーズは12篇の連続映画で、誘拐や盗難といったこれまでのフイヤードの連続映画でおなじみの展開が繰り広げられる。だが、普通の人間が不思議な犯罪に巻き込まれるという、後のアルフレッド・ヒッチコック作品を思わせる「巻き込まれ型」の作品という点がこれまでになかった点であるという。


無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)