ソ連 国家による映画製作の開始
1917年にロシア革命が起こったソ連では、1918年に「5月1日プロレタリアの祭典」という短編ドキュメンタリーが公開されている。初めてスクリーンにレーニンが登場した作品といわれている。
この後、内戦の期間(1918−1920年)にかけては、演出作品はほとんど製作されなかったが、フィルムがまだ多少残っていた頃、マヤコフスキーが映画を製作している。マヤコフスキーは、未来主義の詩人で、シナリオも書き、主演もした。「お嬢さんと無頼漢」「映画に取り憑かれた女」(1918)がマヤコフスキー主演で製作されている。
一方で、国家による映画委員会が劇映画の製作を開始している。個人の会社ではなく、国家による映画製作のはじまりで、第一作はアレクサンドル・アルカートフ監督の「シグナル」(1918)という作品だった。
映画委員会は内戦を撮影し、プロパガンダの役割も果たした。1918年、モスクワからカザン地方に向けて「レーニン・プロパガンダ列車」が出発している。この列車には、書物や印刷機の他に、映写室、編集室、焼付けラボなどがあった。撮影には、アレクサンドル・レヴィッツキーや、のちにセルゲイ・エイゼンシュテインと組むエドゥアルド・ティッセ、ジガ・ヴェルトフらが参加したという。レーニンが映画の役割を認識し、力説していた証拠ともいえる。
また、短編の内戦を扇動する劇映画(アギトカ)も製作され、革命前からの映画人ウラジミール・ガルジンやレフ・クレショフが参加した。山田和夫は「ロシア・ソビエト映画史」の中で、「アギトカ系劇映画とフロニカ的ニュース・記録映画はロシア映画史上、いや世界映画史上はじめて普通の民衆を主人公とし、なまなましい歴史の現実とカメラで対峙」したと書いている。
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