セシル・B・デミル監督作「囁きの合唱」

 原題「THE WHISPERING CHORUS」 製作国アメリ
 フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー製作 パラマウント・ピクチャーズ配給
 監督・製作セシル・B・デミル 出演レイモンド・ハットン

 妻と母親の生活を支えているジョンは、ある日魔が差して会社の金を盗んでしまう。そのことがばれそうになったジョンは逃亡。途中見つけた浮浪者の死体に自分の服を着せて、自分が死んだことにしようとする。ジョンの企ては成功するが、ジョンは浮浪者殺しの容疑者となってしまう。

 デミルがスペクタクル映画を多く監督していた時期と、上流階級を舞台にしたセックス・アピールを売り物にした映画を監督していた時期のちょうど狭間にある作品。内容的には、スペクタクルでもセックス・アピールを売り物にした映画でもない。しかも、それまでにデミルが監督したジェラルディン・ファーラーやメアリー・ピックフォードのような大スターが出演した作品でもない。

 犯した間違いを繕うためにどんどんと泥沼にはまっていくジョンの人生の流転に、妻のジョーンや母親といった人々の人生が絡まるストーリーは、非常に舞台的ではあるが、運命の皮肉を感じさせるものとなっている。特に、ジョンが母親との再会を果たすが、すぐに思い出してくれないシーンのゆったりとした流れは、映画に情感をもたらしている。その他のシーンでもデミルの演出は流麗に物語を語っていく。その手腕は確かだ。

 タイトルともなっている「囁き」とは、ジョンの中の心の声のことだ。いかつい顔をした男性や、やさしい顔をした女性が二重写しで浮かび上がり、天使と悪魔のようにジョンにどうすべきかを囁きかける。手法的には安易とも言えるが、サイレント映画においては映像で見せることが重要であったことを考えると、適切な方法のように感じられる。

 時に照明を極端に明るくしたり暗くしたりする演出は舞台的ではあるが、磨きがかけられて映画でも効果的に使われている。また、舞台的なだけではなく、離れ離れになってしまったジョンとジョーンのカット・バックの使い方や、ラストで死刑台での細かいショットの積み重ね(電気イスのスイッチと、床に落ちる花びらでジョンの死は表現される)といくつかのシーンのカット・バックは映画的である。

 この作品は、元々が舞台人であったデミルが、舞台劇の映画化として過不足なく映画化する手本を見せてくれているかのような作品だ。ストーリーをすんなりと理解させてくれるように作られたこの作品は、内容で映画を楽しむことを可能にしている。映画は、多くの人々が何も考えずに内容だけを楽しむことができるようになって、より多くの人に受け入れられていくことになる。その才能がない監督は、映画界から消えていくことになる(後には内容を楽しませることをあえて拒否した作品も登場するが、それはまた先の話だ)。