ニュース映画の誕生

 映像が当たり前の存在になった私たちにとって、ニュースとは当たり前の存在である。テレビで、ネットで、携帯電話で、街頭の大型ビジョンで、映像は至るところに溢れている。しかし、映画が誕生するまで、ニュース映像などというものは存在しなかった。映像自体が存在しなかったのだから、当たり前の話である。

 ニュース映像とは何か?そう考えるときに、私が重要だと思う点は、カメラと被写体の両方が必要だという、これまた当たり前のことである。逆にいうと、カメラと被写体があれば、ニュース映像は無限に増殖する。カメラが小型化し、携帯でも映像を撮れるようになった現代では、ニュース映像は文字通り無限に溢れている。

 ニュース映像を撮影するハードの一般化は、ニュース映像の増殖を招いたが、一方で格差も招いている。例えば、東京の中心街で多くの人の見守る前で起こった通り魔殺人の映像は、周りにいる一般人によって撮影され、すぐにネットやテレビなどで流される。しかし、東北の山奥が震源地震が発生しても、テレビは発生から3時間以上経たないと被害の大きい山奥の映像を流すことができない。

 この現象は、映像を撮影するハードが今ほど普及していなかった時代においても、起こったものだ。しかし、ニュース映像が「早く」流れる側の(言い換えれば都会の)スピードが以前よりも増したため、格差は広がっていると言えるだろう。

 話が脇にそれた。映画が誕生した当初、撮影機は今ほど一般の人の手に入るものではなかった。また、今ほど小型でもなかった。とはいっても、リュミエール兄弟が開発した撮影機(兼映写機)は、背負えるほどの大きさであり、それゆえに世界中に持っていくことが可能だった。

 初期の映画会社や映画人は、今でいうところのニュース映像を多く残している。主なところでは、エジソン社のマッキンレー大統領の葬儀、リュミエール兄弟のイタリアの国王が外出する様子やパリ万博の様子などが挙げられるだろう。

 初期映画の代表的映画人であるジョルジュ・メリエスもニュース作品を残している。だが、現在の定義のニュース映像とは違う。それは、再現されたニュースなのだ。

 メリエスが残した再現されたニュースの中で代表的なのは、1902年に製作された「エドワード七世の戴冠式」だろう。ロンドンで行われたイギリスの国王エドワード七世の戴冠式を再現したこの作品のために、メリエスはロンドンに調査に赴き、教会のセットの参考にした。撮影所に大聖堂の内装セットを作り、そっくりの小道具を制作し、そっくりの役者を見つけてきて徹底的に再現したのだった。エドワード国王は洗濯屋で働いていた人物、女王はダンサーが演じたという。上映の際には、再現であると明言したが、にせものという批判も受けたと言われている。

 再現されたニュースはメリエスの専売特許だったわけではない。1898年に起こった米西戦争の際には、軍によって戦場の撮影を拒否されたため、エジソン社やアメリカン・ミュートスコープ社は、ミニチュアを使って海戦の模様を再現したりした。

 ニュース映像には、撮影機と被写体の2つが揃う必要があると書いた。そのどちらかが揃わない場合が多かった当時の事情が、再現されたニュース映像へと向かわせた。そこには、多くの人々からの需要があった点も見逃してはならない。これらの再現されたニュースの多くは、興行的なヒットを飛ばしている。

 私は明治時代に作られた新聞を見たことがある。そこには、殺人事件のニュース記事と一緒に、おどろおどろしい絵が書かれていた。私が見たのは原版であり、絵は見事な色彩で血の赤が鮮やかに描かれていた。いつの新聞かを覚えていないため、当時写真があったかまで分からない。だが、少なくとも事件現場にカメラはなかったらしい。そこで使われたのが、絵という方法である。それは実際の情景は異なることだろう。しかし、当時の技術で最大限可能だった、ニュース伝達方法だったと言えるだろう。

 メリエスの「エドワード七世の戴冠式」がにせものという批判を受けたと書いた。しかし、当時の事情や技術で最大限可能だったニュース映像がそこにある。もちろん、興行的野心もそこにはあるのだが。