D・W・グリフィスの「散り行く花」

 ユナイテッド・アーティスツの設立に参加したとき、D・W・グリフィスは生涯の頂点にいた。イタリアの作家・劇作家であるダヌンツィオはグリフィスのために脚本を送ってきたという。また、中国政府はアヘンの害悪を告発する映画をグリフィスに演出するように依頼してきた。さらにはグリフィス自身はファウストイエス・キリストといった野心的な主題を演出することを目論んだ。

 そんなD・W・グリフィスはこの年、「散り行く花」(1919)を製作している。

 「散り行く花」は、イギリス人作家トマス・バークの短編集「中国人と子供」を映画化した作品である。メアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスが原作の映画化をグリフィスに勧めたという。当初はパラマウント系の製作会社であるアートクラフト社で製作が開始されたが、高い製作費と暗い内容に会社側は及び腰となり、グリフィスが買い取る形となった。そのため、配給は自身が設立に参加したユナイテッド・アーティスツが担当している。ユナイテッド・アーティスツにとっては、初の配給作品となった。3ドルという当時としては高価な入場料を取ったが、大ヒットした。リリアン・ギッシュは「リリアン・ギッシュ自伝」の中で、この作品を「追い掛けや間一髪の救出やハッピーエンドがなくても観客の心をつかむことができることを見事に証明した」と評している。

 ラヴ・ロマンスに終始した内容で、グリフィスはロンドンの夜霧を表現するために目の細かいノズルで水を撒き、ところどころでスモークを焚くといったすぐれた技法を駆使し、高い評価を得ている。18日間という短期間で撮影された。テストを入念にしたため、最初の編集で200フィートしかオーバーしなかったという。

 一般的に、ヨーロッパや日本では「イントレランス」(1916)の方の評価が高く、アメリカでは「散り行く花」の方が評価が高いという。