D・W・グリフィス 「グリフィス劇場」の夢

 映画製作を続けていたD・W・グリフィスは、1919年にニューヨークへと移り、自身の邸宅をスタジオに改装して撮影を行っていくが、決して順風満帆とはいかなかった。当時のグリフィスについて、ジョルジュ・サドゥールはかなり手厳しく、次のように書いている。

 「グリフィスは強力な創作者であった。しかし、彼の思考の貧困さは、彼の個人主義一つに限ってみても、チャップリンの知性と好対照をなしていた。グリフィスは、南部派の偏見、アメリカ風の神話、ウォール街の順応主義と彼自身の批評感覚の欠如に迷わされていた」(世界映画全史)

 とはいえ、ユナイテッド・アーティスツの設立に参加した当時のグリフィスが、映画界の巨人であることに変わりはなかった。そんなグリフィスには夢があったと言われている。森岩雄は「アメリカ映画製作者論」の中で次のように書いている。

 「彼(グリフィス)の理想はアメリカ全土にわたりその主要な都会に己の名を冠した「グリフィス劇場」を設立し、その劇場を全国的にチェーン化し、自分の作った映画を自分のチェーン劇場にのみ上映することであった。そうなんだ。何でもかでも自分一人で思うような一貫作業をやりたいと考えていたのだ。彼のこうした理想は思い上ったものと言うべきだろうか。私は製作者の立場から誠に無理のない心持だと同感を禁じ得ないものがある。映画を作るほどの人間だったら誰でも一度は描く夢であろう。彼のような偉大な仕事をした人間がそう思いこむのもむしろ当然と言ってもいいだろう」

 グリフィスの理想は実現できないまま終わる。というよりは、この後さらに巨大な産業となる映画は、グリフィスの描いた理想など実現することは不可能な存在へと成長していくのだ。

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

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