ドイツ フリッツ・ラングが監督デビュー

 ベルリンのデクラ社に入社していたフリッツ・ラングは、オットー・リッペルト監督の「死の舞踏」「蘭を抱く女性」「フィレンツェのペスト」(1919)や、「乞食会社」「リリトとリュ」「復讐は我にあり」(1919)と多くの脚本を執筆した。

 「フィレンツェのペスト」は、後に「カリガリ博士」(1920)のセットを担当するヘルマン・ワルムによって中世フィレンツェの豪華な宮殿が再現され、1万5千人のエキストラを使ったという。しかし、ラングは完成した映画に不満を持ち、自分が監督すれば完成度が増したと、デクラ社のプロデューサーだったエーリッヒ・ポマーに訴えた。ポマーは要求を呑み、ラングの初監督が実現した。

 自ら脚本も担当した古典的なヴァンプの物語である「混血」(1919)が、ラングの初監督作である。続けてラングは、女性への愛に破れる男の話「愛の主人」(1919)を監督した。ポマーは2作を高く評価し、ラングが将来重要な監督になると見抜いたと言われている。