ドイツ フリッツ・ラングの快進撃「蜘蛛」「ハラキリ」

 初監督後のラングは、ベルリンで自身の会社を立ち上げていたヨーエ・マイの「世界に鳴る女」シリーズに協力した。その後、冒険映画である「蜘蛛」二部作(1919、1920)も監督している。「世界に鳴る女」シリーズは大掛かりな冒険映画であり、「蜘蛛」にも影響を与えたと言われる。

 冒険映画の「蜘蛛」は、前半が「黄金の湖」(1919)、後半が「ダイヤの船」(1920)の二部作である。ポマーは、「黄金の湖」を撮り終えた後、ラングに「カリガリ博士」を監督させようとしたが、「黄金の湖」が興行的に成功したため、続編もラングに撮らせた。

 さらにラングは、「ハラキリ」(1919)も監督している。マックス・ユンクの脚本に基づく作品で、筋は戯曲「マダム・バタフライ」と同様のものだ。日本人女性オタケサンをリル・ダゴファーが演じている。民俗学博物館のハインリヒ・ウムラウフによって設計されたエキゾチックな舞台装置が、観客を遠い異国の地へいざなったという。後の「スピオーネ」(1928)につながる切腹や、ラングのオリエンタリズムを見ることができるという。