デンマークにおけるカール・ドライヤーの監督デビュー

 かつての栄光を失っていたデンマークでは、A・W・サンベア監督が、チャールズ・ディケンズ原作の「親友」(1919)を監督し、イギリスで興行的に大成功を収めたという。

 デンマークでは、後に世界的な名声を得る人物が監督デビューを果たしている。その人物とはカール・ドライヤーである。

 1912年にノーディスク社に入社していたドライエルは、字幕を書く仕事から、シナリオの校閲などを経て、脚本家となった。1912年には「ビール醸造者の娘」という作品のシナリオを書いていたという。また、編集の仕事もするようになっていた。

 そんなドライエルはこの年、ノーディスク社の「裁判長」(1919)で監督デビューを果たしている。フラッシュバックを大胆に使用すると同時に、余分な飾り気を排除した舞台装置や小道具に凝り、意味を持たせたという。また、極端なまでにクロース・アップやディテールの分割を行い、パノラマ撮影や移動撮影も積極的に行っている。だが、裁判官が恋と義務の板ばさみになって悩むというストーリーは、昔ながらのノーディスク社的メロドラマで、人物描写は人間味を欠いており、メロドラマも平凡だったという。