ソ連で製作された映画 1919年

 国家による映画製作が行われるようになっていたソ連では、1919年に13本の劇映画を製作することが出来た。内容は赤軍ロシア革命の正当性を表現したものだったが、技術的にはプリミティヴであったという。一方、かつてのロシアの映画人たちは国外に亡命し、反赤軍映画を製作したりしていた。

 一方で、革命前から活躍していた映画人であるヤーコフ・プロタザーノフは、ヤルタでイワン・モジューヒン主演の「女王の秘密」(1919)を監督後、パリへ一時亡命している。

 ソビエトでは、この後フィルム不足に悩まされることとなり、製作本数は減少していくことになる。映画興行においては、外国の新作や、古いロシア映画が上映されていた。

 当時のソビエトの観客・映画人が歓迎したのはエネルギッシュでダイナミックなハリウッド製アクションやコメディだったが、1919年にD・W・グリフィスの「イントレランス」(1916)が公開され、衝撃を与えている。フセヴォロド・プドフキンは「イントレランス」を見て、科学技師志望から映画へ進路を変更したと言われる。