日本 牧野省三が教育映画制作会社「ミカド商会」設立

 日活において時代劇を監督していた牧野省三は、子供の教育上役に立つ作品を撮りたいとかねてから考えていた。牧野は日活に辞表を出し続けていたが、ようやく受け入れられ、1919年にミカド商会という教育映画プロダクションを設立している。ただし、日活の製作を請け負うという形を取られていたという。

 第1作は、内務省からの依頼で、広島県での表彰式の様子を撮影したものだったという。2作目の「都に憧れて」(1919)は、都会に憧れて上京した一家が、都会の荒波に溺れそうになるところを郷土の人に救われて故郷に戻るというストーリーだった。省三の子供たちも出演している。この頃、省三は学校に行かせるよりも映画に出演させたと言われている。

 「忠孝の亀鑑 小楠公」(1919)では、息子の正博(後に監督として活躍)が学校の御陵参拝を休まされて撮影に参加している。そのことが担任の知るところとなり退学にさせられそうになるが、省三は教育映画の製作の意義を理由に抗議して取り消させたという。

 ミカド商会の映画は、教育映画的な臭みがなく、大衆的な劇映画のおもしろさも備えて、人々から喜ばれたと言われている。しかし、ミカド商会は、日活の横田永之助によって買収され、「日活教育映画部」に看板を変えたあと、解散させられてしまい、牧野は再び日活で映画を製作していくことになる。