映画評「不良少女」

[製作国]アメリカ [原題]THE HOODLUM
[製作]メアリー・ピックフォード・カンパニー [配給]ユナイテッド・アーティスツ

[監督]シドニー・フランクリン [製作総指揮]メアリー・ピックフォード [原作]ジュリー・マチルド・リップマン [撮影]チャールズ・ロッシャー [編集]エドワード・M・マクダーモット [美術]マックス・パーカー

[出演]メアリー・ピックフォード、ラルフ・ルイス、ケネス・ハーラン、T・D・クリテンドン、アギー・ヘリング

 金持ちのワガママでお転婆娘のエイミーは祖父と住んでいる。祖父とヨーロッパ旅行に行くことなったが、エイミーは土壇場で嫌になり、社会学の本を書く父とともにスラム街に住むことになる。最初は環境に馴染めなかったエイミーだったが、徐々に周りの少年たちと仲良くなっていく。

 この頃はメアリー・ピックフォードの全盛期とも言え、1919年だけでも4本の作品に出演している。「不良少女」はピックフォードの代名詞とも言える少女役ではなく、年齢的には16歳は超えていると思われる(なぜならラストで結婚するから)娘役を演じている。だが、「不良少女」のピックフォード演じるメアリーには違和感がある。

 違和感はエイミーの行動による。10歳前後の少年たちと遊んでみせる姿は、まるで10代前半の少女のように見える。だが一方で、自動車での暴走も見せてくれるのだ。このギャップが何とも不自然さをかもし出している。
 この頃のピックフォードは、少女役からの脱皮をしたいという自身の思いと世間からのギャップを埋めるためにか、二役を演じることも多かった。だが、「不良少女」では1人の人物の中に、10代前半の少女と、もう自動車の運転も結婚もできる娘が同居しているかのような人間が出来上がってしまっている。私は、ヒステリーを起こすエイミーの後に、自動車を運転するエイミーが出てきた時、ピックフォードが二役をこなし、別人を演じていると思った。

 不自然なエイミーのキャラクターに加えて、ダンディなだけで娘への愛があまり感じられないエイミーの父親といい、突如として隣人の気のいい青年に秘密があったりという唐突な展開といい、一言で言ってしまうと、出来があまりよくない。「不良少女」が同時期のピックフォードの作品の中でも知名度が低いのは、ピックフォードが代名詞の少女役に徹していないだけではなく、出来が悪いことも理由の1つにあるだろう。。