映画評「THE SON-OF-A-GUN」

 原題「WAGON TRACKS」 製作国アメリ
 ゴールデン・ウェスト・フォトプレイ社製作
 監督・製作・脚本・主演ギルバート・M・アンダーソン
 
 荒くれ者だが優しい面もあるビルが、ある西部の町にやって来る。ダンスホールで楽しもうと銃をぶっ放したビルは、町から追い出される。別の町に住み着いたビルは、前の町にいた青年がいんちきポーカーで負けそうになるところを助けてやる。

 アンダーソンは、1910年代の初期からブロンコ・ビリーの役名で短編西部劇を大量に製作し、スターとなった人物である。この頃には時代の流れであった長篇の分野で、西部劇を数本制作していた。

 同時期に西部劇で人気を得ていたウィリアム・S・ハートは、長篇で成功を収めていた。ハートは荒くれ者だが、心にやさしい面を持っているという「グッド・バッド・マン」と呼ばれた役柄で人気を得たが、この作品のビリーも似たような側面を持っている。だが、ハートの作品がハート演じる主人公の変化が明確で、ストーリーにメリハリが効いているのに対して、この作品のストーリーは全体的に平板だ。

 ビリーは荒くれ者でやさしい面を持っているが、それは生来の性格のように描かれている。つまり、ビリーは登場からラストまで、変化がない。そのこと自体が悪いことではないが、娯楽映画と見たときに、全体に平板に感じられてしまう。

 アンダーソン自身が監督を努めたとされるこの作品では、時に工夫を凝らした移動撮影が見られる。ビリーが酒場のみんなに酒をおごるシーンでは、群がる男たちに、カウンターを歩きながら酒瓶を渡す様子が、移動撮影で捉えられている。

 演出上の工夫が見られるこの作品だが、ストーリーの平板さはいかんともしがたい。アンダーソンが長篇の波に乗れなかった理由の一端が垣間見えたような気がする。