映画評「牡蠣の女王」

 製作国ドイツ 原題「DIE AUSTERNPRINZESSIN」 製作パーグ
 監督・脚本エルンスト・ルビッチ

 わがままで暴れん坊の牡蠣会社の社長令嬢オジーは、クリーム会社の社長令嬢が貴族と結婚したことを知り、自分も貴族と結婚したいとダダをこねる。オジーの父親は業者に頼んで、結婚相手に貴族のヌッキをあてがおうとするが、縛られるのが嫌なヌッキは友人を代わりに送り出す。

 ドイツ時代のエルンスト・ルビッチによるコメディである。この頃のルビッチは、後年のルビッチのイメージとは異なるスペクタクルなども監督している。この作品はそんなルビッチが監督したコメディだが、ルビッチの代名詞である「ルビッチ・タッチ」のイメージとは異なる作品でもある。だからといってこの作品がつまらないというわけではない。むしろ、滅法面白い。

 極端であること。それが、この作品の特徴だ。そして、この作品の中で、最も極端なのは数である。

 例えば、結婚相手を見つける業者のオフィスの壁には、大量の男女の写真が一面に貼られている。オジーが住む巨大な屋敷には、大量の召使たちが雇われている。オジーは大量の召使によって、体をゴシゴシとこすられる。オジーと貴族(の友人)の結婚式では、大量の客のための大量の食事が、大量の召使によって給仕される。

 エキセントリックな主人公のオジーと、極端にマイペースなオジーの父親、彼らに振り回されるオジーの結婚相手の貴族の友人が繰り広げるドタバタは、ルビッチ・タッチとは程遠い、キーストン・コメディを思わせる。だが、映画が生み出している面白さは、キーストン・コメディのものとは異なる。

 キーストン・コメディとの最大の違いを挙げると、キーストンのコメディが混沌を基本としているのに対し、この作品は整然を基本としていることだろう。例えば、結婚式での給仕たちに振付けられた動きは、後年のミュージカル映画を思わせるものがある。この作品はサイレント映画であるが、ミュージカルとしてもおもしろさも兼ね備えている。

 ルビッチは、カット・バックを随所に織り交ぜ、テンポによってサイレント映画をミュージカルとしている。また、ロビーで待たされている貴族の友人が、あまりにも暇で床の模様に合わせてステップを踏むシーンなど1つのショットの中でも、ミュージカル的な面白さを見せてくれる。

 この作品は、ルビッチが「ルビッチ・タッチ」だけの存在ではないことを教えてくれる作品だ。キーストン・コメディ的なキャラクターのおもしろさを持ちながら、整然さを付け加え(この整然さは、非常にドイツ的であるようにも思える)、ミュージカル的なテンポのよいおもしろさも兼ね備えている。傑作と言ってもいいだろう。この作品が、知られずに埋もれていることが非常に残念である。