映画評「ハラキリ」

[製作国]ドイツ [原題] HARAKIRI
[製作・配給]デクラ=ビオスコープ・AG
[製作]デクラ=フィルム=ゲゼルシャフト・ホルツ・アンド・コーポレーション

[監督]フリッツ・ラング [製作]エーリッヒ・ポマー [原作戯曲]デヴィッド・ベラスコ、ジョン・ルーサー・ロング [脚本]マックス・ユンク [撮影]マックス・ファッスベンデル [プロダクション・デザイン]ハインリヒ・ウムラウフ

[出演]リル・ダゴファー、ニルス・プリーン、ゲオルク・ヨーン、パウルビーンスフェルト、マインハルト・マウル

 「ハラキリ」は、フリッツ・ラングの初期監督作で、「蝶々夫人」の翻案作品である。日本人にとっては、ドイツ人が演じる日本人や、提灯や銅鑼といった中国の混じったセットや、アラーの神に対してのような立ったまま両手を上げ下げするお祈りなど、トンデモな日本描写が目を惹く作品だ。

 ダゴファー演じるオタケサンの父(大名のトクヤマ)と、オタケサン自身が切腹(ハラキリ)するが、切腹シーン自体は描かれていないし、血の描写もない。そもそも、切腹で映画内のように短時間で死ねないのだが、そのあたりは深く追求しないようにしよう。

 この年に監督デビューしたラングは、まだ習作の時代で、この年だけで4本の作品を監督している。日本を含めたアジアを訪れたことがあったというラングにとって、日本を舞台にした内容の「ハラキリ」は興味があったかもしれないが、映画としては西洋人の東洋へのエキゾチシズムを刺激する以上の作品とはいえないように感じた。

 この後のラングが監督していく作品群を見ると、「死滅の谷」(1921)の死の世界、「メトロポリス」(1927)の未来など、現実のドイツを見つめた作品が少ないことに気づく。江戸時代の日本を舞台にした「ハラキリ」もそうだ。ラングが空想力を羽ばたかせることができる内容の映画を作ることを好んでいたことが窺える。