1920年当時のハリウッド

 1920年当時はまだ、ハリウッドは有名ではなかったと言われている。ハリウッドで映画製作を行っていたD・W・グリフィスやロスコー・アーバックルは、第一次大戦が終わるとニューヨークへと移って映画製作を行ったことからもそのことが伺われる。だが、ハリウッドには多くの映画人やスタジオが建設されており、その基礎は築かれていた。ロサンゼルスと近郊には2万5千人の映画人がおり、50に達したというスタジオ建設には合計で2千万ドルが投入されたと言われている。

 フォックスのスタジオは特に大規模だった。6棟の屋根付き大スタジオを含む78の建物で構成されており、20から30の撮影を同時に行うことが出来たという。このスタジオでは5,000人が働いていた。建設費には150万ドルが費やされたという。

 ハリウッドには、世界中から俳優や芸術家たちが集まってきていた。スターの鑑定家としてハリウッドに影響を与えた小説家のエリナー・グリンがハリウッド入りするのもこの年だ。彼らは、1919年に禁酒法が制定されていたアメリカから逃れて、メキシコまで行って酒を飲んだという。

 スターたちは豪華な簡易木造住宅(家ごと移動できた)に住んだ。また、プールは不可欠だったという。

 一方で映画の生産本数が過剰になったことや、同じような作品が多く作られたことから、映画会社の利益は減少し、人員整理も行われたという。さらには、キリスト教清教徒からは、映画は不道徳であるという批判も起こっていた。

 女優のオリーヴ・トーマスが自殺したのもこの年だ。夫のジャック・ピックフォード(メアリーの弟で俳優)は、オーヴァー・ワークによるものと発表したが、パリの警察はトーマスの知人がコカインを密輸入し、トーマス自身も常用しているらしいことが暗示された。ハリウッドはこのあと、数々のスキャンダルにより糾弾を受けることになるが、トーマスの自殺は数々のスキャンダルの最初期の1つといえる。