メアリー・ピックフォード=子役?

 メアリー・ピックフォードという名前を知っている人自体が少ないと思われる。そのことがまず寂しいことだ。そしてピックフォードは子役として活躍したと言われており、知っている人の多くがそう思っていることだろう。それはさらに寂しいことだ。

 といっても、私自身もピックフォードを「子役として活躍した」としか知らなかった。日本でソフト化されているピックフォード作品はあまりにも少ないため、確認することすらままならなかった。


 元々は舞台の子役として活躍していたピックフォードが映画に出演を始めたのは1909年、17歳のときである。当時の映画は役者の名前を表に出していなかったが、ピックフォードは映画観客たちから巻き毛の女優として認識されていったと言われている。

 ピックフォードの人気は徐々に高まっていった。ピックフォードは映画会社への移籍を繰り返し、その都度ピックフォードの給料は上がっていった。

 そんなピックフォードは、映画に出演を始めてから2年ほど経った後に、舞台に戻ろうとしたことがあった。当時の俳優たちにとって、舞台は芸術であり、映画は芸術に値しないものだった。映画は金のために出演しているという意識が強くあった。しかし、ここでピックフォードは知ることになる。観客たちが、映画スターであるピックフォードを見るために舞台に押し寄せていることを。

 ピックフォードはこの経験から、映画スターのパワーのすごさを知ったことだろう。すぐさま映画へと戻ったピックフォードは、続けざまにヒット作を送り続け、徐々に発言力を増していく。出演する映画のストーリー、演出する監督を選ぶ権利を得て、しまいには自身のプロダクションを持つに至る。

 映画界最初のスター女優は誰か?それは、カール・レムリがユニヴァーサルの前身であるIMPにおいて、虚偽の記事でスキャンダルを起こしてスターにしたフローレンス・ローレンスとも言われる。そうかもしれない。だが、本当の意味で自身がスター女優であることを自覚し、それをキャリアに生かした最初の女優は、まぎれもなくメアリー・ピックフォードだ。


 初期に所属したバイオグラフで出演したD・W・グリフィス監督作品を始め、移籍を繰り返して出演した作品の数は非常に多いが(1909年から1918年までに224本もの作品に出演している)、私はそのうちの20本弱しか見ていない。そして、その中には確かに子役を演じた作品は多くあった。中には10歳の少女を演じた作品もあった。しかし、一方でそれと同じくらい(それ以上かもしれない)、少女というよりはハイティーンから20代前半の、役柄的に無理のない年代を演じた作品も多くあった。

 私の個人的な感想だが、子役のピックフォードの作品も確かに見ごたえがあるものもあるが、それ以上に実年齢とあまり離れていない役柄を演じたピックフォードの演技は見事だ。特に1918年には、「M’LISS」(1918)では明るく楽しい役柄を演じて見せてくれるし、「AMARILLY OF CLOTHES-LINE ALLEY」(1918)ではアイルランド移民の若い女性を快活に演じて見せてくれる。

 極めつけは「STELLA MARIS(闇に住む女)」(1918)だ。ここでピックフォードは、麻痺を患う美しい少女と醜い女中の二役を演じてみせる。私は最後まで女中をピックフォードが演じていることに気づかなかった。見せ場も女中の方にあり、非常に野心的な作品だと言える。


 ピックフォードを子役としてしか認識していなかった私にとって、実際に見たピックフォードの作品は認識との差異に驚くものが多い。そういえば、ジェームズ・ディーンが登場するまで、映画には「子供」か「大人」の2種類しか存在しなかったというのだ。

 ピックフォードが演じた役柄は、確かに「大人」ではないものがほとんどだ。少女ではなくとも、大人でもない。「娘」という言葉がぴったりくるだろうか。そんなピックフォードが演じた役柄は、当時の基準では「子供」だったのかもしれない。そのために私たちは、ピックフォードは子役から脱皮できなかったスターという認識を与えられていたのかもしれない。

 ピックフォードの映画を見るということは、20世紀初頭の女性観と21世紀の女性観のギャップを埋める旅でもある。そして、スター女優として自分自身を認識してキャリアを形成した映画界最初の女性であるメアリー・ピックフォードの見事な演技、見事な仕事ぶりを堪能させてくれる楽しい旅でもある。