パラマウントとファースト・ナショナル

 産業としての映画は、すでにアメリカ第5の産業にまで成長していた。

 当時のアメリカ映画界はパラマウントとファースト・ナショナルという配給会社2社が、2強として存在していた。

 パラマウントは、フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー社、セシル・B・デミル、トマス・H・インス、ルイス・セルズニック、アートクラフト社などが製作する作品を確保していた。だが一方で、サミュエル・ゴールドウィンダグラス・フェアバンクスメアリー・ピックフォード、ロウズ・グループはパラマウントのグループから抜けていった。マーカス・ロウのロウズ・グループはメトロ社を買収している。

 ファースト・ナショナルは、26の主要な映画館チェーンによって設立された映画会社であり、メアリー・ピックフォードチャールズ・チャップリン、サミュエル・ゴールドウィン、ルイス・B・メイヤー、ジョゼフ・スケンクらが作品を提供した。

 元々が映画興行者たちによって結成されたファースト・ナショナルは3,400館と当時最大の映画館チェーンを保持していたが、パラマウントも映画館獲得を強化し、その数は500館にまで達していた。そんなパラマウントを、かつて映画カルテルのMPPCの一員だったヴァイタグラフ社が反トラスト法で提訴している。この裁判は、1923年6月にアメリカ映画製作者配給者協会のウィル・H・ヘイズの調停でヴァイタグラフが告訴を取り下げている。

 元々は映画館チェーンであるファースト・ナショナルは製作・配給・興行の垂直統合を実現していた。パラマウントも対抗して、映画館チェーンを確保していくことになる。

 一方で、メトロやユニヴァーサルといった大手映画会社も垂直統合を推し進めており、小さい映画会社は生き残れなくなってきていた。

 ちなみに、1920年以前の映画の上映プログラムは長編・中篇・短編で構成されていたという。長編映画は当初は1時間15分程度の作品のことを指していたが、1時間45分程度にと徐々に長くなっていった。また、長編より先に上映されるプログラムピクチャーの予算は少なく、手早く作られたといわれている。