グロリア・スワンソン 「100万ドルを使った最初の女優」

 セシル・B・デミルは、映画の中のグロリア・スワンソンを美しい邸宅に住まわせ、浴室の場面などではタオルで巧妙に身体を隠して、肢体を見せた。さらにスタジオに衣装部をもうけ、スワンソンには最新のモードを身に着けさせた。スターにふさわしい最新モードで人々の前に姿を現すように契約によって決められており、スワンソンの衣装代は他の誰よりも高くついたといわれる。

 スワンソンは、当時の仕事について次のように語っている。

 「セシル・B・デミルのスタジオで仕事をするのは、世界でいちばん高級なデパートでままごと遊びをするようなものだった」

 デミルによってマック・セネットの喜劇の脇役から抜擢されたスワンソンは、今や大スターとなっていた。1920年代はスターの時代と言われ、スターたちは高給を取るようになっていくが、スワンソンはそんなスターの代表選手の1人である。そんなスワンソンについて、アレグザンダー・ウォーカーは次のように書いている。

 「彼女自身はお伽話の世界を生きることにまったく戸惑いを感じなかった。金銭が彼女にその手段を与え、スターの地位がその動機を、宣伝がその道具を与えた。そして彼女は、自分についての神話の創造を黙認し、さらに全盛期に送った自らの生活によってそれを助長さえした」

 スワンソンの名声は、浪費を強調することでも高められていったと言われている。「100万ドルを稼ぐピックフォードに次ぐ2番目の女性。そして、それを使う最初の女性」と宣伝されたというスワンソンは、ピックフォードとは異なり、華やかさを売り物にした。スワンソン自身も、「あの頃、世間の人たちは、私たち映画スターが王族のような生き方をすることを求めていた」と語っていたという。映画内のイメージを私生活にまで持ち込むことで(さらにそれを宣伝することで)、スターとしての地位を確固としたものにしていったのだ。