エリナー・グリンのハリウッド入り

 1920年代に、スターの鑑定家として、ハリウッドに多大な影響力を与えることになるエリナー・グリンが1920年にライターとしてパラマウントに招かれている。

 当時50代の半ばだったグリンは、当時としては大胆な内容で評判を呼んだ恋愛小説「三週間」の著者として有名な人物だった。また、恋を長続きさせる方法を指南した「愛の哲学」を執筆し、6ヶ月で25万部を売り上げた。さらには、週500ポンドで恋愛論の講話を行ったりしていた。

 パラマウントはグリンの知名度に注目してハリウッドへと招いた。必要だったのはグリンの脚本家としての実力ではなく知名度だったと言われている。

 グリンはこの後、ルドルフ・ヴァレンティノクララ・ボウといったセックス・アピールを売り物にしたスターたちの活躍に一役買っていくことになる。