大スターたちの独立プロダクション

 アラ・ナジモヴァは1920年当時、メトロ社ですでにスターとなっていた女優である。だが、やりたくない題材を押し付けられていたためにメトロ社を退社する。退社したナジモヴァは自ら映画制作に乗り出し、「孔雀婦人」「億万長者」(1920)を製作するが失敗に終わったという。

 1918年に早川雪洲が設立した独立プロであるハウアス・ピクチャーズが、1920年にハヤカワ・フィーチャー・プレイに改名している。早川は「アラビアの闘士」(1920)などの多くの作品に出演し、主に中国人、アラビア人、インド人に扮してエキゾチックなムードを振りまいた。