イタリア映画 1920年
イタリアの映画製作会社は、1919年にUCIとフェルトという2大製作会社に集約されていたが、不振を脱することはできなかった。だが、製作本数は220本と、かなりの本数を誇っており、特にフェルト社の製作は活況だったが、UCIの失敗がイタリア映画の海外販売低迷へとつながり、やがて経営危機に陥ることになる。
1910年代半ばから、ザ・ラ・モールというキャラクターを生み出して人気を得ていたエミリオ・ギオーネは、1920年にギオーネ・フィルムを設立している。多くの作品を作るが、やっつけ仕事も多く、人気は落ち目になっていったという。
そんな中、1920年11月には、イタリア映画草創期から活躍したマリオ・カゼリーニが急死している。54歳だった。