映画評「性」

製作国アメリカ 原題「SEX」
J・パーカー・リード・ジュニア・プロダクションズ製作・配給 パテ・エクスチェンジ配給

監督フレッド・ニブロ 製作J・パーカー・リード・ジュニア 脚本C・ガードナー・サリヴァン 撮影チャールズ・J・スチューマー 美術W・L・ヘイウッド

出演ルイズ・グローム、アーヴィング・カミングス、ペギー・ピアース、マートル・ステッドマン


 ナイトクラブのスターのエイドリアンは、妻のいるオーヴァーマンをたぶらかし、オーヴァーマンは離婚に至ったが、良心の呵責は感じなかった。そのオーヴァーマンを捨てて、より金持ちのウォーレスと結婚したエイドリアンは家庭に収まったが、かつて自分より格下だったデイジーにウォーレスの心を奪われてしまう。

 刺激的な原題からも想像できるように、前半はエイドリアンのヴァンプぶりが最大の見所だ。とはいえ、何をしているか分からないが、相手の男がメチャクチャになってしまう「愚者ありき」(1915)のセダ・バラと比べると、想像の範囲内のスケールの小ささを感じてしまう。逆に言うとリアリスティックということでもある。

 ウォーレスと結婚した後、同一人物とは分からなかったくらい貞淑な雰囲気になるところに、化粧やファッションの力を感じるものの、かつて大ヴァンプだったというせっかくの設定が活かされていないようにも感じられた。その後の展開は皮肉を感じさせるものの、それ以上のものはないのは、急にお決まりのパターンのヒロインにエイドリアンがなってしまうからだろう。

 サイレント時代のアメリカ映画は、知らない人が想像する以上に、性の問題を描いている。「性」もタイトルの通り、その一本だ。だが、セダ・バラの突き抜けた(突き抜けすぎて滑稽さすら感じさせる)ヴァンプと比べると、エイドリアンのヴァンプぶりは常識の範囲内と言えるだろう。後半は説教臭くない。だが、かつてのヴァンプだった女が主人公ならではの説教であれば興味を感じるかもしれないが、普通の、いたって普通の説教だったのが残念だ。