映画評「馬鹿息子」

 原題「THE SAPHEAD」 製作国アメリ
 メトロ・ピクチャーズ製作・配給 監督ハーバート・ブラシェ ウィンチェル・スミス 出演バスター・キートン

 「馬鹿息子」はキートン初の主演長編映画である。キートンの持ち味は、アクロバティックなアクションと様々な装置のアイデアの融合にある(単独デビュー作の短編「文化生活一週間」(1920)を見よ)。だが、「馬鹿息子」ではキートンは持ち味を封印し、ブロードウェイの有名な舞台劇のキャラクターをストレートに演じている。

 「馬鹿息子」は、キートンの監督作ではない(フランス・ゴーモン社の草創期の女性監督アリス・ギィの夫であるハーバート・ブラシェが監督を担当)。また、脚本も別の人物が努めている。それもあって、キートンは持ち味を映画の中で発揮する場を失っている。それでも、キートンは愚かな青年を説得力のある演技で見せてくれ、キートンが役者としても実力を持っていることを証明していることは確かだ。ダグラス・フェアバンクスが主演を薦めたというだけあって、キャラクターはキートンに合っている。ただ、もう少しキートンの魅力を増す味付けが出来たのではないかとも思う。

 「ヘンリエッタ」という名前を使った捻りの効いた脚本はよく出来ているし、後半の大逆転劇は高揚感に満ちている。それでもやはり、キートンの持ち味が発揮されている他の作品と比べると、「馬鹿息子」は何段か見劣りがしてしまう。

 最大の理由は、明らかにトーキー向きの脚本にあるだろう。証券取引所で「ヘンリエッタ!」と叫ぶ人々の様子は、トーキーでこそ魅力を持つことだろう(字を大きくしたり、絵を入れたりと字幕は凝ってはいるのだが)。その後のキートンが「買った!」と言って歩くシーンもまた、トーキーの方が合っているように思える。

 キートンは再び短編に戻る(自身は長編を望んでいた)。キートンの映画の魅力は、長いか短いかではなく、キートンの魅力が発揮されているかによって決まる。そしてそれは、自身の魅力をしっかりと把握しているキートン自身がどれだけその映画に携わっているかによって決まっているようにも思える。

キートンの馬鹿息子 [DVD]

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