映画評「牧師の未亡人」

 原題「Prästänkan」 英語題「THE PARSON'S WIDOW」 製作国スウェーデン
 スヴェンスカ・フィルムインダストリ製作
 監督・脚本カール・ドライヤー

 婚約者の父親を説得するために牧師の職を探すセフレンが、前任の牧師の未亡人マルガレーテと結婚することを条件に仕事を見つける。セフレンは婚約者のマリを妹と偽って同居させマルガレーテの死を待つのだが、その日はなかなか訪れない。

 カール・ドライヤーの監督2作目の作品である。脚本家としては10年ほど前から活動していたこともあってか、2作目とは思えぬほどの手馴れた監督ぶりだ。ノルウェーの自然を使ったロケ、画面分割やクロース・アップを効果的に使った演出はベテランの仕事のようだ。

 コメディと言われる作品で、ユーモア溢れるシーンが盛り込まれている。中でも、悪魔の絵を見たセフレンが、手作りの悪魔の衣装でマルガレーテを脅かそうとする一連のシークエンスは見事。チープな悪魔の衣装といい、逃げ出したセフレンが外の寒さに耐え切れずにガクガク震えながら部屋に戻ってくるシーンといい、最も愉快なシーンになっている。

 セフレンが悪魔の衣装でいたずらをするシーンに代表されるように、「牧師の未亡人」のセフレンはまるで子供のようで、対するマルガレーテは母親のように描かれている。見方によっては、セフレンとマリがマルガレーテの大きな愛によって大人になる物語でもあるし、セフレンとマリがマルガレーテをあの世へと送り出してあげる物語であるともいえる。単純なコメディではなく、人間性、愛、ヒューマニズムといった様々な言葉が脳の中を去来する、大きく緩やかな映画である。

 この映画をコメディでもありながら、より器の大きい映画となっているのは、マルガレーテの存在につきる。母親のような優しさと厳しさだけではなく、最初の夫を愛し続けるいじらしさを併せ持ったマルガレーテが死んだときの登場人物たちの悲しみの大きさは、見ていて感じ入るものがあった。

 マルガレーテを演じたヒルドゥア・カールベルイという女優は、当時70歳を超えていた。そして、自らの死期が近いことを知りながら、「牧師の未亡人」に出演し、完成した映画を見ることなく亡くなったという。映画の中での死を間近に控えた穏やかなマルガレーテの姿は、実際に演じた女優の姿とも重なっていたことだろう。そう考えるとすごい映画である。

 「牧師の未亡人」はコメディでもあり、ドラマでもある。加えて、1人の女優が見せた一世一代の命を賭けた演技を見せる映画でもある。ドライヤーが撮ったマルガレーテの多くのクロース・アップは、ヒルドゥア・カールベルイという女優の演技に賭ける執念の塊でもある。それが鬼気迫るといったものではなく、時に優しく、時に厳しく、時にあどけないものであるというところに価値があるように感じる。

 ジャンルのレッテル付けを拒む内容、映画に刻み込まれた1人の女優の魂。カール・ドライヤーはこの先、ドライヤーならではの映画を撮り続けていくことになる。「牧師の未亡人」は、映画外の出来事も含めて、そんなドライヤーらしい作品だ。