映画と自動車という同級生

 1908年、フォード・モーター社から画期的な自動車が発売された。T型フォードである。T型フォードの何が画期的だったかというと、安かったのだ。チャールズ・チャップリンの「モダン・タイムス」で批判されているベルトコンベアによる流れ作業方式により、フォードは低価格化を実現した。これにより自動車は、一部の富裕層のものから中流階級も持つことができるものとなったのだ。

 1908年に映画は何をしていたか?フランスではフィルム・ダール社が映画で芸術作品を生み出そうとし、D・W・グリフィスは映画監督としてデビューした。まだ映画はようやく2本の足で立とうとしていた時代だった。

 こうして、自動車と映画は期せずして同時期に発展の道を辿ったのだった。

 物語を語るという意味での映画は、当初スタジオのセットで作られることが多かった。徐々にロケもされるようになり、被写体として活躍したものがあった。それは、自動車である。T型フォードは安かったとはいえ、決して安い買い物ではなかった。ハロルド・ロイドの「ロイドの初恋」(1924)は、60回払いで買ったハロルドの自動車がボロボロになる悲哀が描かれている。映画産業が徐々に大きくなるにつれて、映画でも車が頻繁に使われるようになっていった。

 「国民の創生」(1915)で馬に乗ったKKKに白人を救出させたD・W・グリフィスは、「イントレランス」(1916)の現代編では、死刑執行を止めるために自動車で疾走させている。

 コメディの分野では、チャールズ・チャップリンは「一日の行楽」(1919)で、自動車を巡るトラブルをコメディにしている。チャップリンは自動車を持つために、浮浪者を捨てて中流階級の男を演じている。

 自動車といえば、カー・チェイスだろう。カー・チェイスは、コメディを中心に見ることができる。当時はまだアクション映画というジャンルもなく、バスター・キートンを始めとするコメディが、アクション映画の地位を占めていた。

 自動車が登場する映画で目を引くのが、今とは異なる交通法規だろう。車道と歩道の区別もあいまいで、信号もない。混み合う交差点には警官が立っていて、交通整理をしている(この警官も絡めたトラブルも多い)。都市では市電や馬車もまだ活躍しており、歩行者は自由に歩いている。そんな中を、自動車が走っているのだ。今から考えると信じられない光景だが、こうした光景を見ることができるのも昔の映画を見る楽しみの1つだ。ちなみに、やはり交通事故は多かったようで、ニューヨークのブルックリン交通局が事故防止を訴えるPR映画「THE COST OF CARELESSNESS」(1912)を作ったりしている。

 自動車が普及するにつれて、自動車自体が主役とも思える映画も登場している。1919年に作られたウォーレス・リード主演の「疾風の如くに」(1919)などは代表格だろう。カー・レースに情熱を燃やすリード演じる主人公が、ロサンゼルス=サンフランシスコ間の記録を破ろうとする物語だ。

 そして、こうしたサイレント映画期に登場する自動車の多くが、T型フォードなのだ。T型フォードは1927年まで基本的なモデルチェンジを行わなかったため、ほぼ同じ形の車を、当時の映画を見るたびに私たちは見ていることになる。1927年は、初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」が公開された年である。映画と共に成長したT型フォードは、同じ年にモデルチェンジを行ったということになる。

 フォード社が映画製作も行っていたことにも触れておこう。当時、大企業は自社の宣伝も兼ねて短編映画を製作しているところがあったが、フォードもその1つだった。内容的には、フォードが行う第一次大戦の復員兵の職業訓練についてだったり、愛国心を煽るプロパガンダ的な内容だったり、アメリカ各地の紹介(自動車に乗って旅をしてもらうため。ミシュラン・ガイドと同じ目的)だったりと幅が広い。

 自動車と映画はこの後も20世紀の人びとの生活に深く食い込む存在として、発展していくことになる。映画の中に自動車が登場するだけではなく、ドライブ・イン・シアターのように物理的に接近した時期もあった。それについては、またいつか。