ロスコー・アーバックルを擁護した人々

 告訴されたアーバックルは、その後の裁判で事故と認められて無罪となった。ちなみに、このときアーバックルの弁護団のために情報を集めたのは、サンフランシスコのピンカートン探偵社に勤めていた頃のダシール・ハメット(後のハードボイルド小説家)だったという。しかし、アーバックルのイメージは回復しなかった。アーバックル映画の上映拒否は続き、アーバックルは失業状態になった。

 ハリウッドのボスたちがアーバックルに対して冷たい態度だった一方で、ハリウッドの映画人の中にはアーバックルを擁護するものもいた。バスター・キートンは裁判でアーバックルを擁護する証言をした。ジョゼフ・スケンクは、アーバックルのための会社だったコミック・フィルム社をバスター・キートン・プロダクションに変え、利益の35%をアーバックルが受け取れるようにした。さらに、アーバックルのために別会社を設立してアーバックルが匿名で映画が作れるようにした(だが、アーバックルの出ない作品はヒットしなかったという)。

 バスター・キートンはアーバックルの事件について、次のように「バスター・キートン自伝」で書いている。

 「世界中でただ一ヶ所、ロスコー・アーバックルのことを誰も憎まず、彼を有罪だなんて誰も思わなかった場所がある。それはハリウッド、面倒に巻き込まれたら最後、仲間でも容赦してもらえないところだとしばしば描写されていた町だった。この後、絶望した童顔の太った男がもう一度自分の足で立って、外の残酷な世界と向き合えるように励ますためにハリウッドがやったことは、我々みんなが憶えておいていいことだ−私はそう思う」

 この後、アーバックルはドタバタ喜劇の劇団を作って地方巡業に出たが、しばしば野次で中断しなければならなかったという。どん底の状態に陥ったアーバックルは、次第に酒に溺れるようになる。

バスター・キートン自伝―わが素晴らしきドタバタ喜劇の世界 (リュミエール叢書)

バスター・キートン自伝―わが素晴らしきドタバタ喜劇の世界 (リュミエール叢書)