トマス・H・インス時代の終わり

 ロシア革命が起こって間もないこの頃、アメリカ政府はハリウッドに反ボリシェヴィキ運動に参加するように求めたと言われている。そんな中、トマス・H・インスは、ボリシェヴィキが人々を虐殺する様子を描いた「危険な時間」(1921)を製作している。一方で、労働者を描いた作品はほとんど作られなかったという。

 トマス・H・インスは、1919年から以前ほど映画に関与しなくなっていた。1921年から1924年にかけては、少額予算で50本ほど製作するが、重要な作品はないと言われる。また、インスが育てたウィリアム・S・ハート早川雪洲などのスターは、インスのもとを去って活躍していた。