フランス印象主義派の活躍 ジェルメーヌ・デュラック

 第一次大戦中に監督デビューし、独立プロD・H社で拘束を受けずに映画を製作していたジェルメーヌ・デュラックは、サイレント映画時代において世界でも数少ない女性監督の1人だった。そんなデュラックは、「つれなき美女」(1921)や、「太陽の死」(1921)を監督している。

 「つれなき美女」は、1人の妖婦が町へやってきて、町の秩序が乱れるが、最後には元に戻るという内容の作品だ。

 「太陽の死」は、体が麻痺してしまった男の物語である。オーバーラップ、二重焼付けといった映画的テクニックを駆使したアバンギャルド的な作品だったが、脚本が平凡だったという。