フランス ルイ・デリュックの評言

 「狂熱」(1921)を監督したルイ・デリュックは、著書「フォトジェニー」の中で「フォトジェニー論」を提唱し、「新しい印象主義芸術に言いつくされている」と映画を規定した理論家でもあった。

 デリュックは、12年間で20冊の著書を出版し、大衆組織としてのシネ=クラブを設立しようとした(存命中は実現せず)。また、デリュックは映画批評誌「シネア」を創刊し、映画愛好者を意味するシネアストという言葉を作りだした。

 そんなデリュックが残した、映画についての評言のいくつかを下記に紹介しよう。

「映画は一つの国際語である。が、各人の個性を拡め、伝達するのに、適切に役立つものでなければならない。スウェーデン人はそこではスウェーデン人たり続け、アメリカ人はそこではアメリカ人であり、ドイツ人はそこではドイツ人であることを明確に示す。われわれはロシアの映画作家がロシア的であり、イギリスの映画作家がイギリス的であり、フランスの映画作家がフランス的であることを要求する」

「もちろん、映画は一つの産業である。だが、産業は片手間仕事の同義語ではない」

「映画が一つの産業であることが明らかになって以来、数多くのいかさま師が見られる。(中略)各瞬間に人生は映画を作っており、映画は人生を真似ることでなければならない」